Vlogの興りはバーチャルな世界にも波及しており,姿を現実に投影しにくいという制限は新たな形の動画に寄与している.この記事ではVTuberが現実に自らを現実に投影している手法について実例を含め紹介する.
モニターを用いる
大小さまざまなモニターを用いた現実へ顕出する手段がある.
個々のスマートフォンを用いる
視聴者の各々が持つスマートフォンにVTuberが現れるという形であるが,単純なYouTubeの視聴は含まない.
代表的な事例としてにじさんぽがあげられる.スマートフォンを通して見る景色にARでVTuberを映すというもので,一緒に旅行している気分を味わえるサービスだった.一緒に旅行していると言っても録画されたモーションと音声を観るだけで会話が出来るわけではなく,音声案内の拡張版と考えると理解しやすい.コミュケーションが出来ないのは残念だが,美少女ゲームにおける旅行パートの体験型と考えれば,良さも伝わりやすいのではないだろうか.
タブレットを用いる
スタッフが持つタブレットを介してVTuberが外に出てロケなどをするという形式である.
にじさんじのくじじゅうじではスタッフがタブレットを持ちVTuberが現実でロケを行い,そのVTRをVR空間で観るという面白い構図が出来ていた.【#にじくじ2022】にじさんじのくじじゅうじ 一夜限りの復活SP!の21:59からはVTuber視点(タブレットのカメラ)と現実の人間とのやり取りと大きな2つの特徴をみることができる.26:47のシーンからも分かる通り,VTuber自身が体を張る必要が無いという利点(欠点)がある.
中型モニターを用いる
超バーチャルYouTu"BAR"やおしゃべりフェスのようなVTuberと1対1でコミュケーションが取れる時に使われることが多い.上半身のみを映すことで等身大にはなるが,平面のモニターでは没入感を出すのは難しく,あくまで対話を重視した形式であると言える.
一方で前者の透過ディスプレイが進化したり,このサイズ帯の空間再現ディスプレイが登場してくると没入感も実在感も一気に強まるように思う.
大型モニターを用いる
e-maのど飴 新プロジェクト発表会 2020年12月21日のように現実の人間と同じサイズで全身を映す時に使われている.また,動画を前提としない例としては大阪駅でいきなりVTuberが話かけてきたらどんな反応するのか?#shortsがある.実寸大で全身を表示できることから中型モニターよりも実在感を出すことができる.
超大型モニターを用いる
ミライアカリ、電脳少女シロら人気VTuber達がライブ&ファッションショーで盛り上げる!「FAVRIC 2019」,バーチャルファッションショー「FAVRIC 2019」ウォーキング@電脳少女シロさんのようにライブで用いられる.このライブはファッションショーと音楽ライブの両方が行われており,多数のモニターでランウェイを構成したり,超大型モニターでライブをしたりと革新的な表現がなされた.
また,マジカルミライで散々つかわれてきた領域であり,歴史とそれに伴う技術がある.
3Dモデルを合成する
動画を中心に現実の動画と3Dモデルを合成する手段が取られることがある.
3Dモデルで現実の姿を置換する
【3人旅】おめシス初の大分旅行が最高すぎた!!!の1:01や【世界初?】Vtuberが空中ブランコに挑戦してみた!では現実の姿を動画編集で消し,3Dモデルを表示している.映像を観る限り違いがわかりにくいが,前者は映像をもとにしたモーションキャプチャーである一方,後者はmocopiなどの機材を使っているようにみえる.ノイズの問題や編集の負荷は大きいが空中ブランコのような現実の体を使った技術には,実際に行っているとわかりやすく適した手法であるといえる.
3Dモデルを風景映像に追加する
【初登山】運動不足バイク女子、息切れしながら"岐阜のグランドキャニオン"に登ってみた…!【アズリムの冒険モトブログ│#岐阜 】のように風景を撮影した後に自撮り風や固定カメラでの撮影風に3Dモデルを追加している.モーションさえ別で用意しておけば大きな負荷なく映像を作れる上に,実在感をかなり出すことが出来るという特徴がある.
少し趣の違う撮影方法としては刺激的な散歩をするゾがあげられる.動画の最序盤などでは外ロケのような画角で撮影が行われているが,これは手に持ったカメラで風景をとった上にmocopiでのモーションを乗せている,すなわち大きな鏡に対して撮影しているという形式が取られている.2:44からの映像で違和感を抱く理由はカメラのブレと彼女の動きが同じであるためだろう.この手法はYouTuberが行うことは出来ず,VTuberの新しい外ロケの可能性を感じる.
3Dモデルと風景の合成手法については【DAIV】まるでその場にいるみたい!実写合成「さな歩き」を作ってみよう!が詳しい(多くのVTuberはノーマルマップを利用していないと思うが).
人形を用いる
VTuber本人もしくはスタッフが人形を操り現実へ繰り出す.
パペットを用いる
🛫旅・Vlog🛫や♨ホテルレビュー♨を中心にぽんぽこちゃんねるでは外ロケにパペットを用いている.視聴者に与える実在感はもちろんのこと,【弾丸】廃墟好きが行く!グルメに絶景!1泊2日の長崎旅行が最高すぎました。【池島】の4:02にみられる小学生との円滑なコミュケーションはパペットの即応性と実在性によるものだろう.(映像合成でVTuberが現われるとして,現実には何もない空間に目を合わせて会話するのは難しい.)
きぐるみを用いる
ピーナッツくん - グミ超うめぇ (Live at POP YOURS 2022)のように人間と最も近く扱えるという強みがある.仮にピーナッツくんの音楽がいかに評価されたとしても,3Dモデルを映す必要があるとなっては(きぐるみより遥かに)設備のハードルが高くなるだろう.
また,完全に顔を隠して外にいられるため竹下通りでゆるキャラGP王者が声をかけられるか検証してみた!のような大胆なロケができるというメリットもある.
他者によるコスプレ
【速報】ゆるキャラグランプリ優勝しました!!!!の0:59や深層Webの刺客「DWU」コスプレAVに本人解説+吹き替え版収録のカオスといった例がある.どちらも顔を出すことが困難なVTuberが,どうしても人型が必要であるという場合の最後の手段として使われているという印象を受ける.
現実の顔を置換する
プライバシーの最たるものである顔のみを隠すという手法はVTuberに限らず広く使われる.
3Dモデルの顔で置換する
3Dモデルで現実の姿を置換する で紹介したおめがシスターズだが現在は顔だけVチューバーと名乗り,顔のみを3Dモデルに置換し活動している.全身を置き換えるのでは取り除けないノイズや,手元を中心とした細かい動きが伝わることなど多くの利点が存在する.現実の顔を完全に覆うためにモデルの顔が大きくなってもアニメ的であるとみられ違和感が少ないというのも都合が良い.
一方でアニ文字を利用したYouTuberやTikTokerは少なからず存在し,彼らと同類視されるのはVTuberとして好ましくないようにも思える.(アニ文字を使ってVTuberを名乗ることに対し否定するわけではない.)
アイコンなどのイラストで置換する
すとぷりがテレビに出演した時に顔のみをアイコンで隠しており,Twitterを中心に罵倒されていたことが記憶に新しい.
VTuberとしてでは最強寒波VS乾布摩擦のような動画が例となる.賛否両論ある手法なのだろうが,顔を隠すことでVTuberとしての形を保てるのであれば最も簡易的な方法として評価できるだろう.
関係の無いマスクやきぐるみを用いる
【超美麗3D】初夏の釣り対決!Vtuberにだって釣りはできらぁ!【深層組/なまほしちゃん/寧々丸】や【公式/サブ】ティラノサウルスレース大山2023【ゲスト:息根とめる】などがわかりやすく,いわゆるニコ生の延長のような雰囲気がある.VTuberに何を求めるかによって意見の分かれやすい手法ではあると思う.
その他の手法
ARu子について話したいがための章という説もあるのだとか.
中の人をみる
【ARu子】ヒマ過ぎる女子高生がお散歩実況♪はVTuberが左下にいるだけで別に実在感もなく,現実にいるとは特段感じられない.しかし我々はARu子の中にいる人間を詳しく知っており,この映像からも彼を感じることができる.VTuberを介して中の人を感じることは少なからずあるが,この場合は中の人を直接感じた上にVTuberの存在もまた認められるという奇妙な実在性を持っているのではないだろうか.
空気感だけで実在感を出す
町内の『ふれあい祭り』でギターを弾いたよや文化祭で東京事変の『群青日和』を弾きましたといった動画にはVTuberの姿が一切映らないが,確かにそこにいるように感じる.こういった雰囲気のみによる実在感もひとつの手法と考えて良いだろう.
将来的な話
科学技術の進歩はもちろん,青春ヘラver.7「VTuber新時代」の発刊など様々な面で進化するVTuberについての将来を少しだけ考えてみる.
技術的な話
最近は技術の発展が著しく数年後という極めて近い未来さえ楽しみな日々を送っている.VTuberを現実へ投影する技術として楽しみなのは
- Apple Vision Proのような高性能AR機能を備えたゴーグル
- ELF-SR2のような空間再現ディスプレイ
- LiDARなどによる深度撮影技術
- SAMのような画像認識技術
- Stable Diffusionのような画像生成技術
- GPT-4のような言語モデル
あたりだろうか.Stable Diffusionで特定の絵描きの絵柄を模倣されるのが人間による模倣とは比較できないほど嫌われるように,特定のVTuberの人格を言語モデルに学習させ模倣させたら相当に批判されそうだななんて思うが,色々な議論が沸き起こりつつも面白い未来が広がっているのではないかと思う.
逆行する話
ここまで散々VTuberを現実に登場させる手法について話してきた.この試みは沢山の人々によって行われ研究も進んでいる.一方で,現実に存在するしかない人間がVTuberとなることで世界に存在しない者となる(もしくは作り出す)方法についての進展はあまり見当たらない.
現在は緩和されたが少し前はVTuberは絵を被っているから人権が無いとするかのような認識でのアンチ行為などが散見され,その影響かVTuber自身が現実に存在していることを主張することが多くあった.大手VTuber事務所により誹謗中傷などの対策が取られ,アンチなどが表面的にみられにくくなっている現在においても,この傾向は変わっていない.RP(ロールプレイ)を徹底しているVTuberであるとしても彼らは(現実世界から写像されているか否かは問わず)何らかの世界に属している.仮想であるバーチャルだが存在しないという事はあり得ないというのが現在のVTuberの形式となっている.
存在しないVTuberを作るとしたら私は岩倉玲音となり美里について語ることでしかなし得ないように思える.
しかしバーチャルにおいては信頼できない語り手を成立させるのが困難である.というのもVTuberが何かしらを語ったとしたら,それそのものが真実の世界となり,視聴者はそれを信頼するためだ.
存在しないことを前提として【クリスマス特別企画】性の6時間は名取と子作りしようよっ!2019で作り出された西郷・R・いろりはファンアートタグ#いろりでもちきりなどによって実在性が高められ,名取さなと歌を出すに至っている.仮に私が存在しないVTuberについて語ったとして他人によって存在させられてしまうというのは,いないバーチャルYouTuberを作るのをより困難にしているのだろう.