講義前
【影響学セミナー|第六セミナー《イメージの影響学》(小沢健二 東大900番講堂講義)】への出席が認められた.
ここ数日はTwitterで延々とパブサをしては未だメールは送られていないようだなと逸る気持ちを抑えていたりしていた.
私への出席を認めるメールは20時頃に来たのだが,Twitterにはもっと早く具体的には16時頃に届いている人がいた.
この間は地獄だった.これまでの人生において志望校に落ちたことも無ければ,単位を落としたこともなく,挫折した経験もない.運も良い方で応募したイベントに外れた記憶も無かった.ここの講義への参加が認められなくば,私のレポートが低質だったということに他ならない.本当に認めたくなく,レポートを読んだ方との相性が悪かったのだ等と思っているとメールが来た.
嬉しくて仕方がない.しかし参加できる喜びよりもレポートが評価された喜びの方が上回っているように感じては競争社会にしか生きられない悲しき教育の賜物だななんて自己承認の喜びをごまかすのである.
日本の大学受験、ゲーム性が高すぎて、学問に対して造詣も興味もないゲーム依存性患者が結構簡単に高学歴になれてしまうという重大な欠陥を抱えてるな。
法政経が人文より上にみられがちなのは上という概念からしてこのツイートを表していて苦手だな.
時が経つのは早くてチケットを発行できるようになったことを伝えるメールが来るも先延ばし癖が強く講義の前日にやっと発行するがLoppiを使うのが初めてで慌てた末にチケットを受け取り忘れて退店した.
しかし延々とTwitterをみていたおかげでパブサにひっかかっていた同講義受講者のチケット画像のツイートを思い出し引き戻そうかなと思うもチケットを受け取り忘れたなんて思われては恥ずかしくて仕方がないから適当に散歩してから戻り店員にのみ恥をかきながら大いに謝罪し感謝を伝え入手した.
それまでの散歩はチケットのことばかり考えていたがここからの帰路においては専ら受け取りの失敗についてのみ考えるわけで普段より大幅に遠回りをし私の注意力散漫さや社会性の無さを思い知り遊歩道で足を止めるなどし少し驚くと同時に衝動的に起き理由が定かでないことが往々にしてあるというのも納得がいった.
それにしても店員さんは優しく私が取りに戻ると「チケットを取りに来てくれたから対応しておいて」と他の店員さんに言ってこの「来てくれた」が嬉しくて仕方がなかった(店員さんは灰色のカラーレンズをしていたから怖そうだなと感じていたが思えば私も普段からカラーレンズを着けているし周りからはこのように思われているのだろうか).
講義
さて当日は午後に起き苦手な渋谷を突破するなどしてあまりに普段通りなまま講義が開始となる.
講義の前半は色々と注釈しながら進む訳だが一切の説明なしに郵政省との言葉を出されて随分と好きな空気感があり期待感が増す(私が物理学を物理学として初めて習った時の先生は函数と書き大蔵省とよぶような人でどうにもその頃を忘れられない).
教科書を見直す事なく帰路に於いて書いている今であるが印象的だった3点を一先ず書こうかな.
プラトンのイデアに関してを褒めた後にトップダウン的もしくは優生思想を孕む彼の哲学を「読むのも嫌だ」と下す.東大で、大学在学者もしくは大学職員のみを対象にし、作文で人を選別した後に、行う講義でこのようなことを言われても特に思うことはない.人文学系の講義というのは往々にしてこういうことがあり今の学生は授業中に声をあげることもないとわかっているから議論にもならない.これは全編を通して日本を西洋化の中でうまく立ち回れていると褒める彼がアメリカに住んでいることにも繋がるポジショニングである.
(なんだかファスト教養のように)様々な分野を話されていた中で大抵は把握していた話題だったが詳しくないものもありnutritionismへの問題提起についてが特にあたる.
いやベースブレッドなども買っているし食事に面白味を見出さずタブレット1つで一切を替えられないかと思っているのだから当事者でもあるのだが具体的な問題意識の言語化に至っていなかった.(私に苦痛でしかない)食事は心を豊かにするらしくこれは(大変なお気に入りの)四季と同じようなものであり尊重する方が良いのだろう程度にしか思っていなかった.また海外のメニューの表記なんてのも意識しておらず実際のところ私が以前にシアトルに行った頃はそこまででは無かったし体験がアップデートできていなかったからだろう.
こういうことがあるとかなり悔しく思いよりもっと人生に誠実にあろうなんて思うが同時に怠けることこそが人生であり私に誠実なのではないかと葛藤し一日を終えることも多い.
しかし彼の言う通りで日本は西洋化した空間の中でうまくやっているというのは(これに限らず)確かに思うが鎖国の頃からの名残だろうか(もっと昔の邪馬台国の頃から外国との関係は達者だったのかもしれないが歴史には造形が無いもので).
「ひとつ」についてのuniを西洋的と onenessを非西洋的であるとした時は流石に驚いた.今回の講義で最も素晴らしい主張だったように思える.後ろにどのような理論があるのかは知らないが onenessに感じる暖かい橙色とuniにみる硬くも透明な青い緑の差は西洋的か否かを分するに甚だ寄与しているように思え極めて直感的で納得感のある主張だった.この私の共感覚に迎合する主張をやけに高く評価する悪癖は直すべきなのだろうが見える世界を肯定されては堪らないものだ.ここで使われている仙厓義梵(教科書では仙義梵との誤字)についてだが去年や今年の頭に色々と展覧会が行われていたように記憶しており機会を逃してしまい少々後悔している.
全体を通してとても勉強している方による極めて優しい講義だったなとの印象を受けた(しこれがファスト教養的に感じるのだろう).色々と指摘したい部分も多いがこの内容をたった3時間に納めるのは偉く細かい点を拾っていては倍は下らない.また人文科学から社会科学から自然科学まで色々と跨いで話しをしているわけでここまで幅広く知識を蓄えアウトプットし取り沙汰されるべき間違いが無いというのは尊敬せざるを得ない.また教科書は綺麗なデザインでありながら文献がきちんとありわかりやすい(それにしてもこの装丁で3000円は恐ろしい).知らないトピックには興味が沸いたし知っていたものには反論する点を探せて極めて楽しい講義だった.
講義だった?
「今の学生は授業中に声をあげることもない」と書いたがではいつ抗議するかと言えば講義後の休憩時間である.(納得できない点を言い合いに行き大概は負けるのであるが)この時間が設けられていなかったのは講義としての側面が弱いということの表しのように思える.また受講生について色々というのも良くないが歌が終わった時や講義の最後に拍手をするのはどうなのだろうか.講義なんて先生と敵対こそすれ称賛の拍手なんて……などと困惑すると同時にアーティストが講義をやるとはこういうことなのだろうとも思ってはいたので溜飲も下げられる部分も(諦念による解決には適さないなんてのは直感するが辞書を引けば別に問題はないように思え)また.
講義後
教科書を見返して特に気になった点を書こうかな.
画像について(カメラを代表する)入力においては色域や色の分解能を取り上げるが(モニターを筆頭に)出力では解像度ばかりを推してきている,という話があったがEIZOなどは10bitモニターを売りにしている.また昔はQuadroでしか出来なかった10bpcの設定がGeForceでもできるようになるなど色については表示の部分でもかなり気を使われている傾向にある.(ここからは完全に趣味の話だが)ペンタイル方式などの存在も人間の色域を考慮しつつコスト低下に一躍買っておりどうにも出力で色についておざなりになっているとは思えない.とはいえ最近だとQuest 3が有機ELではなく液晶だったというのは大変残念に思うが(小沢さんもVRの後に現実を観ると鮮やかだと言っていたが全くその通り).
匂いのデジタル化について色々と話し教科書には東工大が紹介されているが味覚にも進展がみえ明治大学の研究にも注目していく必要があると思う.個人的には(技術の面で)味覚のほうが先に実用化に漕ぎ着けるように思うがVRやら映画やらでの実用を考えると需要は嗅覚にあるだろうなとも思う.また触覚については電通大がかなり熱くこれも期待.
なんか他にも気になった記憶はあるが何だったかは覚えていないのでこの辺で.
せっかくだからと受講者用のDiscordでも参加したが空気感が苦手だったために少しずつみている.
一方でかなり自分語りを含めて長文をカキコしている方もおり,それは随分と好みでオアシスたり得ている.