とは夏果とは
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冬 VTuber 引退
2023.12.13 🔖️VTuber

安土桃と勇気ちひろの引退を受けて茫然自失としているがここ数年は彼らの配信を観ておらず🔴【マイクラ】やる!【岐阜鯖】マシュマロは甘えあたりを繰り返し観ていた程度でアーカイブが削除されないのであれば特段変わらない日々が続くかと思われるが実情はそうではなく

コロナ禍で延々と配信を垂れ流した学生が相当数いるようだが私はむしろ18年19年が暇で暇で常に配信を(また当時は配信が無い時間もあったから)アーカイブを複窓して24時間分以上の情報を取り入れては疲れて寝るを繰り返していた
19年の前半はその中でも特別でそもそも始まりがバーチャル大晦日2018~みんなで年越しブイッとね!~という今では考えられない素晴らしきイベントなのだからそれはそれは思い入れがある(Count0も触れておいたほうが良いのですか?)
知っている曲が禄に無い紅白歌合戦(も今思えば良いものであったが)を聞きながら冷えて尚味の濃いおせちを食べそれから深夜にも関わらず蕎麦を食べさせられ近くの寺に寒いなか除夜の鐘をつきに行く大晦日が嫌いで例外的に除夜の鐘をつきに寺を訪れて出会した友人と甘酒を乾杯しては深夜の特別な感覚を楽しんだ思い出もあるがそれさえもバーチャル大晦日の前では無力であれ以来の年越しはドンバギとツイートしてみたり(青道アカトがなぜか全員のドンバギツイートをふぁぼしていたのは今思い出しても面白いな)脳を吸われてみたりして楽しい年末年始を過ごしている
2017年の12月に大きく広まったこともあってかVTuberの思い出振り返ると冬に集中しがちである
2月序盤の寝ても醒めても宇志海いちごがマインクラフトをやっていた時期や卯月コウの鍋ラップや堂に入りつつある雑談など未だに鮮明に覚えている配信も多々ある

23年は好きなVTuberの引退が相次ぐ

初鹿野ことなについてはこれ以上に語り得ないので

読谷山文乃は痕跡をすべて消されてどうしようもない
彼女のラジオはかなり都合がよくて社会へのコスプレとしては電車で聞いていたのだが専ら最近はSpotifyになり代用なんて無いと思い知らされる

ライヴラリ

についてはゲーム部に近いものをみるしアマリリス組がいかに異質かが際立つ結果となっている(アズマリムとか周防パトラのような例もあるが彼らの負ったものに比してはやはり特殊なのだ)
赤月ゆには話が好きで餅月ひまりは趣味が近く図月つくるとは専門(というには浅く広いそれ)が被り(ヘアピンまみれとは知識が全く被らずそれはそれで面白いが)無月めもりの実写は相当に好きだった
VTuberの実写(手などを出すはんなま系VTuberとは違いいわゆるロケ)が大好きで以前は月ノ美兎の影響かと思っていたが更に遡りにじさんじのくじじゅうじに囚われているからなのではと最近は思っている
以前に久遠千歳をいないようにあろうとするVTuberに惹かれるものは大きくとしたがそもそもが存在せざるを得ないVTuberという枠組みの中で順当にあろうとする行動もまた好きなのだろう

KMNZ LIZはかなり早くから歌を主軸にするVTuberでKMNZから広がっていったところはあると思うが彼らの運営者もまたなかなかでよく長い間活動したなと感じる
そういえばエハラミオリも表舞台を降り(ワニとコウモリ リリースパーティにでたりはするが)岩本町芸能社も消え本当に大きな変化のある年だった
The essence taiki editが大好きでエハラミオリと桃で曲を作ってほしいと思っていたが叶いそうもない

陽萌のの子についてはアイシーも非公開にしていよいよ半永眠としている
Twitterの方に短時間ながらあがっているのがせめてもの救いだ

白河つきよの活動が2ヶ月ほど止まっているのも憂慮しているが実生活が忙しそうな人だし深刻ではないだろう
相方は元気にTwitchで活動をしているようなので心配することもない

私は確かにYouTubeで実写の人間を観るのが苦手だが別に現実に興味が無いわけでも無く坂本龍一や松本零士が亡くなってしまったのも相当に悲しんでいる
生産者→成果物という構図において前述の2人の死は生産者の消失を意味し新しい成果物が生まれない以上の効果は無いがVTuberについてはそうもいかない
VTuberの引退においてはあたかも生産者が消え(動画やツイートが消されなければ)成果物は残るという同様のかたちにみえるが実態は成果物そのものが消え失せ生産者の存在を確認できないながらも感じ続けることとなる
もしくは生産者→成果物→作品とすればわかりよくこのうち引退は成果物のみが抜け落ち生産者 作品となってしまう
時には

生産者→成果物(旧)→作品(旧)

成果物(新)→作品(新)

ともなり自らの誠実さを考え直す日々だ
美空ひばりや手塚治虫ではAIを用いた復元のような取り組みが行われ生産者(真)→成果物(新)←生産者(偽)←成果物(旧)←生産者(真)のような様相でありこれもこれで残酷といえよう
こういう人は人を創れると考える高い理想を捨てれば多少は楽になるのだろうが

靄を凝縮する日々に別れを告げられるほどに成熟する人間を冷血とするだろうし
周りの目を気にして初詣で食べなかったガリガリ君も今年こそは