具合が悪い
寝込んでいる
普段から身体が弱いから基本的に横になっていることが多いのだが
ここ数日はその類ではなく
明確に具合が悪く体温計もおかしな値を指している
YouTubeを開くとメランコリック / 紫宮るな coverの文字が飛び込んできた
開かずにはいられない
そうすると右にボカロの歌ってみたが大量に並んでいる
ぶいすぽっ! の面子なんだそれらの全てが
そういう企画なのだろうと勘づいて調べると胡桃のあの企画らしい
全部を聴いた
素晴らしかった
嬉しかった
学校に通わずに暗い部屋で聴いていた
曲の良さを語り合う相手もいなくて画面を流れるコメントから会話を想像していた
時間が無為に流れていく中でもニコニコを観続けるくらいしか出来ることがなかった
周りの同世代は勉強をしたり部活をしたり遊んだりしている中でそういうことができない自分を責めていた
そういうことが何だか肯定されたように思ったし勝手に慰めを感じた
無駄な時間なんてないなんて綺麗事を正面から受け取ってもいいのかなと思えた
こういうことは今が社会のなかにあって真人間たる者が言うから良い話となるのかもしれない
未だにあの頃と似たような生活を送って結局のところ劣等感も拭えず酷い日々を過ごしている私が言っても仕方がないばかりか悪評にしかならないかもしれない
けれど病気で辛いからか甚く感情を揺さぶられて文章を書こうという気になってしまった
画面上の人気者となって大勢から応援される彼女らと
暗い部屋で横になっているだけの私とは全く違う
あの曲が思い出となるにあたる経験だって私のような仄暗いものではないのだろう
もしくはその暗さのなかに清涼感があるように思うことをやめられない
それでもこうやって恰も寄り添って慰めてもらえているように感じるというのは情けなくも幸福なことだと思う
卯月コウが暗がりのエモを肯定していた頃は昔で最近は冷笑に対して否定的な態度をとっているらしい
らしいというのも怖くて最近のコウをみられていないから曖昧なわけだが
どうにもそれが「あがり」の態度に思えるが実際的にはそうでもないのだろう
彼がもとから誠実であることはわかっていたはずなのだ
そういう部分を避けて理想を投影していたから歪が生じて観られない今に繋がっているのだろう
(それはそうと私も冷笑は嫌いであるが(animmonyに共感するわけでもない))
VTuberを特に企業に所属して複数人で楽しむコラボをみている者を青春のやり直しだとか言われているのを聞いたことがある
彼らをみていて感情の高ぶりを感じる度に確かにそうかもしれないと思う
(言語にしていなかっただけでバーチャル大晦日で感じたのはそれだったのだろう)
無かった青春を体験するのではない蟠りの残る過去を再構成するような
そういう側面があるのかもしれない
さっきサナトリウムに入りたいという話をしていた
感染症になっているわけではないから私が入るとしたらリハビリテーション施設だろうが
入院してやることがなくなると途端に老け込んで退院することなくという話もよく聞く
日光がよく当たる小高い丘に建つサナトリウムで終えられたら良いな