再び公開されたらしい
当時も一応は聴いて素晴らしい曲だなと思って感動していた
こんなことを言ったりもしたが彼の代表作は間違いなくアイシーだとは思う
ただあれが公開された19年6月には既に卯月から心は離れていた
あれ以降は雑談や夏の写真やOD組くらいで出雲が卒業した頃からは観なくなった
もしくは観られなくなった
理由はいくつかあるが笑い方が恐ろしくなったことが一番だろう
私は過去の経験から男性性が苦手で調子が良くないと男声を聞いているだけで辛くなる
特に豪快な笑い方や咳き込む音が苦手で発した者の人間性に依らずに忌避してしまう
更にそういうことを受け取っているうちに人に苦手意識を抱き観られなくなる
同時に彼は配信に慣れるにつれて笑い方が豪快になりまた男性性をみせるようになってきた
いちからがANYCOLORとなり様々な空気感が変わってしまったのも理由だろう
そうして個人VTuberを観ることに時間を割くようになってから初鹿野をみつけた
ここで詳細は書かないが社会に不完全な彼女は私にとってあまりにも完全だった
こうして21年の初めには卯月をみることもなくなり離れる時間が長くなることにより起こる漠然とした拒否感 具体的に言えば知らなかった頃に起きた変化への忌避感により切り抜きをみることさえ出来なくなっていた
これは未だにそうで思い出したように【ストロベリームーン】陽キャ中学生が美少女ゲームを語ったりするを観るくらいだ
そんな具合だから特にあの歌に抱く思い入れも強くはない
VTuber楽曲大賞楽曲部門18位には感嘆したが当時は星宮に執心していたこともあり昔のアカウントのツイートを遡ってもネオンライトばかりを呟いていた
私のこの懐古的な側面もしくは黎明期を甚く好む性癖は星宮にも適応されメルティランドナイトメアを初め今は消された動画を好んでいたがこの話は別の時に(一応それらのURLがまとまっている記事を【星宮とと】それは見る人をワクワクさせる灰色の星)
そういうわけで当時からアイシーに対して恰も私だけが抱く彼への曲への特別な感情なんてものを持っていいのか持っているのかは疑問だった
それでも公開が取り止められてからコウ国民となった者の反応により聴いたことによる特別感を自身の中で生み出しては勝手な優越感に浸りまたそれは何らかの意義深い体験であったと錯覚するのに十分だった
再公開に際して何かしら何かしらの反応をしようと思ったが出来そうにない
ライブをみておらずTwitterに流れてきた情報から知ったというのもあるが揺れ動く感情なんてものもなく再び聴くのもありかもなくらいにしか思えなかった
それでも未だ聴けていないのは怖さからなのだろうか
あれが再び公開されたら何かが変わると盲目的に信じていた日々はもう無い
18年に救ってくれたひとりの男によって終わらせられた
それでも次に聴くまではその日々を延長できるかもしれない
P.S.
海丑がTwitterで反応するばかりかYouTubeで配信をとっていた
彼女が急激に人気を博し私にとっては好ましくない売り方をするまではみていたから気になる部分もあったが観られそうにない
男性性を誘発するような女性性もまた苦手なのかもしれない
星園は反応していなかった
勝手に安心した