とは夏果とは
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内輪ノリとltk
2025.08.31 🔖️virtual 🔖️event

League The k4senをみていた
葛葉が振り返り配信で「青春ごっこ」と言ったり「たかが配信者大会で泣いていて草」と思う自分もいると顕にしたりしていた
またTwitterでは釈迦が山岡家にて撮った写真に「配信者の大学生化が止まらない」と引用したツイートが多くのリツイートを得ていた
いつだかのオモコロチャンネルのイベントで出演者が全員で歌っていてTwitterで冷笑されていたのを思い出した

渦中であるということについて考える機会が多い
これはVTuberの箱を観始めた2018年頃から特に多くなった
彼らは必ず視聴者がいることを前提として行動していてこれが彼ら同士での冷笑を予防しているようにみえる
マーダーミステリーをはじめとするTRPGへの適性の高さの一因ともなる

かなり前に卯月コウが内輪ネタは外から見ると必ず寒いと話していたことを思い出す
いかなる規模の集団であってもその集団のなかでいかに面白い事象があっても外からみたら痛さや不気味さを感じてしまう
これはもちろんVTuberにも適応されるしゲームの大会にも同様だ

VTuber最協決定戦でAPEXが採用されていた頃に海外の配信者がトッププロ以外のプレイヤによる大会が開催されて広くみられるというのは特殊で羨ましいと言っていたことがあった

さてLTKについてもそこそこ追っていた私としてはかなりアニメ的だなと感じたと同時になぜ私がオリンピックなどのスポーツ大会に対して食指が動きにくいかの理由をみた
それは選手のことを知ることができてきる状態から始まり練習を多くみることができるという点だ
甲子園では母校へのインタビューや選手の特徴を表すコメントなどがなされるが鷹宮リオンをみてきた2018年から2025年に比べるとないも同然だ
歌衣メイカのプレイや姿勢に批判が集まった頃に彼が自称する漢を用いてうまいことを言おうとする行為に関しても彼が元は女でやっていたことを踏まえるとみえる景色は変わる
私の知るスポ根アニメは概して大会よりも練習パートが長く(もちろん麻枝のキャラクタを好きになってもらう尺ほどではないが)そこに挟まれる日常回と共にキャラクタの解釈を自分の中につくり感情を抱く
そういう要素から私は楽しめたし対照的にLoLを好んだ故に見始めた人ほどやるせなさもしくは怒りを感じたようにみえた

(ただ歴史の長いスポーツに対する冷笑で青春のやり直しだとかそういう側面から攻めるものは少ない
大抵は「才能に適したルールがあっただけ」だとか「球を蹴って2億」だとかそういう選手の適応に対するリターンの大きさを妬むことが多くみられる
これこそが練習を公開していなかったり選手をプロファイルすることの難しさが故かと思っているがどうだろうか)

我々は渦中にあったから楽しめたし選手はその中でも中心にいたから涙が出るほどの感情が湧いた
これを外から冷笑することは至極当然であるし中にしても外の見え方を気にして冷笑のポジションを取ることもあるだろう

冷笑といえばあにもになわけだが(諸説)彼は冷笑に対して誠実を掲げた
これはなかなか難しい話で私としては冷笑されている全てに対して誠実であることは不可能かと思う
一方で自身が渦中に入ることで冷笑されても仕方がないという客観視をもちつつ楽しめるのであれば多くの渦に飛び込み楽しみ続けるというのは可能であると思う
もちろん新しいものに触れられる精神力があればだが
むしろ冷笑を怖がり何もしないというのは自信を楽しみから遠ざける行為でありその先は鬱にちかしいように思われる