サイト内検索を実現しようと思うとどうしてもJavaScriptが必要になってくる
サーバーサイドでなんらかすればJSはいらないのだろうがそういう話ではない
静的に行いたい
いやCSSでも動的なものは作れるとの噂を聞くがそういう話でもない
このブログの目標はとにかく軽量たることでありその為にJavaScriptを使わずしHTMLとCSSのみとし更にラスター画像は控えベクター画像を使うなど無為な拘りにより少なくとも私の自己満足は十分なサイトとなっているのだからその現状は壊したくない
となると方法は限られてくる
Rustで事前にインデックスを作っておくことで軽量なJSのみで検索を実装できるらしいがこれも受け入れがたい
となると検索ボックスを用意してgoogleのsite:を用いた検索に飛ばすとかになるけれど試してみると微妙に思える
仕方がないのでブログの記事を1つのページにまとめてユーザーにCtrl+Fしてもらう形式とした
https://slnq.github.io/search/
スマホのページ内検索は使いにくいがそれは私がどうにかする問題とも思えないし
他に懸念すべき点といえばやたらに重くなってしまう可能性だけれど35個の記事があって250 KB程度だったから許容範囲かな
取り敢えず100本とかいくまでは問題ないのではと思っている
なにか妙案があれば教えて下さい
P.S.
404エラーのページを時系列に全ての記事のタイトルが載るアーカイブページとした
https://slnq.github.io/404/
検索ページは時系列に全ての記事の内容が載るページとなった
https://slnq.github.io/search/
まぁいいんじゃないですかね
どこにも行かないのもなと思い上野へ行った
曇っているのに明るいし人は多いし寒くて具合が悪い
ヨドバシでランダム要素のあるフィギュアを買う
一昨日は違うヨドバシで同様の商品を買ったが欲しいものが来なかったから再び買うわけ
上野恩賜公園のベンチに移動し開封すると前回と同じものが出た
1000円もするフィギュアだからこれ以上は買えない
涙が出てきて早々に帰路に着く
自宅の最寄駅に着くと雨が降っていた
少し待つと弱くなったのだけれどやっぱり降っている
仕方ないから早歩きで帰りシャワーを浴びて温かいものを食べた
デスクトップパソコンを起動しなくなってからどれだけ経っただろう
就くとパソコンを起動する体力がなくなる
全く生産者となった私は携帯でYouTubeを開く
オモコロが動画をあげていたからみてみるとカスな節約術としてガムテープをペン立てにすることが取り上げられていた
私が自然にしていたことがカスな節約術として扱われることに悲しくなった
明日からまた日常が始まる
今週もまたパソコンを使うことはなくてスマホばかりをみるのだろう
窓から線路の方をみると回送列車が走っていた
暗い列車は向こうのビルの光が透けてみえる
電車に乗っては携帯を弄ることなんて多くあらず大抵はぼーっとしているか泣いているか景色をみているから人の有無によらず電気は消してくれればいいのになと思う
オモコロの動画を見終わったからトップに戻るとOs-宇宙人 / covered by 魔界ノりりむがみえた
懐かしいなと思い月ノ美兎が歌ったOs-宇宙人の転載動画をみる
これをみるたびにウのツイート
月ノ美兎がイベントでos宇宙人歌ったのを「解釈一致過ぎる」とかオタクに言われてたのムカつく
彼女はサブカル好きなだけで高校中退もしてないし、友達とうまくやれてたタイプの人間
この"きっとね何か掴んでくれてる あなたのことが好き"っていう孤独で切実な想いとは別の欲求を満たしてるに過ぎない
https://x.com/tosiyaan/status/1330577960001101827
を思い出す
本当に大好きなツイートで頭にこびりついている
落ち込むことばかりが続いて楽しさや喜びなんて久しく感じていない気がする
無気力にやる気が起きず今この文章を書き段落を作ってみても達成感のかけらもない
Twitterのおすすめをみていると苦しくなって酷い吐き気に襲われてからというものTwitterはリストで数人だけをみている
砂丘は「人生を神ゲーにしよう」の裏にある自然な人生はつまらないという認識のほうに感動しつづけており、だから「ちっぽけな世界なのに/この両手には大きすぎる」「果てしない世界なのに/この両手には小さすぎる」って両価性が歌われたときも嬉しかったんだと思う
https://x.com/saqwasad/status/1879840370441515034
これは最近呟かれていた好きな言説
初鹿野ことながしていた
生きているだけで偉い
に含まれる「偉くなくてはいけない」「自己を肯定しなければいけない」の要素に耐えられない為 オタク言語として流行ってしまったことは世界を間違えてしまったようなものだ
を思い出した
構造が似ていながらも対照的で
神ゲーが果たして楽しさによって成されるかがわからないから対義として「つまらなさ」があるかは判断できないけれど頷くことはできる
偉くなくてはいけないが含有されるかはわからないけれど偉いことが褒めとして消化されることに対して(広義の)オタクが肯定的ないしはその渦中にあるというのは残念
パターン化したエモが気持ち悪いのではなく現在エモとされるパターンが気持ち悪い
卯月コウが語る「ポジティブなマインドから本当のエモは生まれない」や貴族が言う「『エモさ』の原動力に欠如感が関わっている」は確かだろうがそこに現在のエモが照準を合わした時にそれは気持ち悪くならないから
https://x.com/slnql/status/1850844958691103059
こんなことを言ったこともあるが私は卯月コウがいう暗がりのエモが好きだ
それは(広義の)オタクないしは陰キャとしてのマイノリティたれとの信条に一致するからだろう
だからこそ暗がりのエモがパターン化されたときに気持ち悪くもしくは私の好みから外れるかを考えていると少しだけ不安になってそれでもそれを私は気持ち悪くないと言いたいなと思ってしたツイートなのだが
最近といっても既に3年以上も卯月コウの雑談配信を禄に聞けていない
変わった彼をみるのが恐ろしいから
とりとめのない文章ばかりを書いてどうしようというのだろう
どうしよう
ブログなどを書いても自信がないからsnsへの投稿などもしないのだけれどgoogle検索が機能しなくなっている今日において私自身もtwitterなどで検索をしそこで見つかった記事を読むなどもしているので検索機能が実装されている適当なsnsにタイトルとurlを投稿するのも良いのかなと思うようになってきている
とはいえブログを書きgit pushしてgithub acrionsにbuildしてもらっている頃には書いていたことなんて忘れてしまうし覚えていたとして面倒でtweetなんてしないだろうし何よりも毎回自意識と戦っていては精神にも悪いのだからgithub acrionsにはついでにtweetまでを行ってもらおうという算段
具体的なコード
https://github.com/slnq/slnq.github.io/blob/main/.github/workflows/main.yml
apiの発行とかで色々と面倒がある
調べても尚も微妙に躓いた点として権限を変更した後にAPI Key and SecretをRegenerateしなくては変更が適応されなかったりするという点
具体的なコードは前述のymlにありテストに用いたコードが下記
import tweepy
client = tweepy.Client(consumer_key="API Key",
consumer_secret="API Key Secret",access_token="Access_Token",
access_token_secret="Access Token Secret")
client.create_tweet(text="Hello World")
アカウント名とパスワードで投稿できるから楽
import atproto
client = atproto.Client(base_url='https://bsky.social')
client.login(login='ACCOUNT NAME UNDER @',password='PASSWORD')
client.send_post('Hello World')
当初はノートの作成および削除の権限のみを有効にしていたがうまくいかなかったため全てを有効にしている
from misskey import Misskey
api = Misskey('misskey.io')
api.token = 'TOKEN'
api.notes_create(text='Hello World')%
GitHub側にもたせた環境変数は
env:
ACCESS_TOKEN: ${{ secrets.ACCESS_TOKEN }}
run: |
python - <<EOF
access_token=os.environ.get("ACCESS_TOKEN")
EOF
のように使えるのだがrun内で定義したものは
run: |
tweet_content="${second_line_content} ${post_url}"
echo "TWEET_CONTENT=$tweet_content" >> $GITHUB_ENV
export TWEET_CONTENT="$tweet_content"
python - <<EOF
tweet_text = f"{os.environ.get('TWEET_CONTENT')}"
EOF
のようにする必要がある気がするexport
の行はいらない気がするのだがいれてからはうまくいったし取り敢えずこのままにしている
apiとかwebサービスとかって調べることばかりに時間がとられて本当に嫌い
一応2024年のうちに自動でtweetしてしまう機能が追加されてしまったから25年は納得できる文章を書けるようにするか納得のラインを下げるかのどちらかが起こる
積分の範囲を拡張し
また と置き複素数に拡張しとする
この時のの範囲は次のように定義される
ここで
したがって
これを整理すると
次にについて考える
を以下のように分解する
ここで次のように定義する
留数を計算する
このまま極限操作を行うと不定形になるためロピタルの定理を用いる
さらに計算すると
同様にして
これらより
次にについて考える
とし
と置換する
以上より
分母を因数分解する
以上より
部分分数分解を行うために式①
を置く
係数比較を行うと
これらを解くと
これを式①に代入すると
整理すると
積分できる形になったので積分する
積分の結果
任意ので発散しない関数に関して
が成り立つためロピタルの定理を用いて
したがって
変数変換として
を用いると
これをベータ関数の積分公式
より計算すると
ここでガンマ関数の定義 を用いると
さらにガンマ関数の相反公式
を用いて
懐かしいノートが出てきたのでmathmlのテストも兼ねて載せる
かなり古いもので稚拙だから頭痛がするわけだが当時に対して何かができるようになったわけではなくよっぽど退化しているのだから手の施しようがない
zolaの簡単な変更によってmathmlに変換できるのだが更新の度に少々の作業が発生すると記憶が保たない私には相性が悪いから普通に変換してコピペした
具体的に4乗にしているし分子は1だがそのへんは色々と拡張できるし暇があったら追記したい
text figuresまたの名をnon-liningとかold styleとかよばれる数字の書体
3, 4, 5, 7, 9が下に出ていて6, 8は上に飛び出ている
他の英字とかにも溶け込んで統一感がうまれる形式だけれど読みやすさは最近のlining数字に劣っているからかweb上で目にすることは多くない 特に日本語だとね
連続した英文のなかにあるからこそメリットがでてくる書体ではあるけれど敢えてディジタル数字に取り入れてみたい
10 segmentなら多分aからfも表示できるんじゃないかな
うん悪くない
2がzみたいなのは少し気になるけれど4とかdとか良い感じじゃない?
でもtext figuresのメリットって小文字のなかに混ざるからこそだろうからもう少し本数を増やして全部のアルファベットに対応させたいな
実際にledを買ってきて作ろうかと思ったけれどフォントとかに使ったほうが馴染む気がする
4入力でデジタル回路を設計しようとカルノー図をちまちま書いていたけれど思ったより素子が必要そうで少し面倒になってきたのもある
ledを組む方に焦点をあてるのならArduinoで操作してもいいのかな
アルファベット全体の作成もしくは16進数のled実装が出来たらまた追記しようかな
最後に7セグ関連のおすすめの動画を載せておくね: Segmented Displays -Posy
電車に乗っているとやたらに変な広告がうたれていてよくみると写真植字の百年とそう書いてあって興味のある部類の展示を見つけ喜ぶわけだがそれ以上に乾いた生活の中に綺麗な広告が現れたことへの歓喜を押さえつけるように見つけた次の日に行くことが出来ない社会性という鎖への苛立ちだとかそういうことに囚われて企画展のことを忘れたまま休日を迎え朝起きると不思議なことに決定付けられていたように身体は身支度を進めていて寒さも忘れたようによく起き扉を押していた
博物館に向かって歩くわけだが少し用があって御徒町あたりを散策するとハミクリのようなまどそふとらしき絵柄に群がる黒い人々がいて何かしらのイベントなのかと調べてもあまりヒットせずそれでも新作が出るとの発表が同じ頃にあったから何かしらあったのだろう
お茶の水にも所用があったから少し遠回りだけれど寄りつつ飯田橋の方へ向かう
印刷博物館に着く頃には脚が若干疲れていて流石に電車の距離だったかと反省しながらも冷たい風を浴びてパサつく髪に手櫛をとおし最低限の身なりを整えて印刷博物館に入る
お目当ての企画展たる写真植字の百年へと勇むも手前にあった世界のブックデザイン2023-24という無料のギャラリーが今日から開いているらしくその並びが遠くからでもわかる魅力的な風合いでまずはそこをみることにした
無料なのが信じられないくらい素晴らしい展示で説明的な文章で紹介しても仕方がないように思うから具体的なことは最小限に留めるのだけれど中国が凄かった
出版の流行や歴史を知らないからこれが進んでいるのかはたまた他国の追随なのかはわからないが奇をてらっている感じがしないのに面白さがあったりそもそも漢字のみで構成された文章は美しかったり
色使いもパキッとしていたり一方で白を基調にしたやわらかい装丁もあったりとバラエティ豊かでみていてとても楽しかった
取り敢えず行路覌心については翻訳しつつ読みたいなと思う(どこで買えるのかは今後探さなくては)
他にはSE 42が良かったな昔から家具が大好きだったから読み応えがあって今から買いたいよ
それと人の部屋の写真を集めた本も良かった(配信者が行うリスナーの部屋の写真をみて色々と言う配信が好きなので ね)
タイトルを失念してしまったから出品リストの紙をみつつ思い出したら追記するね
写真植字の百年の方はそもそも初めて知ることばかりでかなり疲れてしまった
リョービやモリサワの方のインタビュー動画が流れていたのだけれど60-70代の方が話していてパソコンが登場する前の時代は近いようで遠くて隔絶がされているのだなとか
ディジトンのインテリ趣味らしさとアスキーアートへ受け継がれていそうな思想だとか
タイポスは今見ても尚衝撃を受けるなとか
オレンジや黄色や赤のようなポップな色のボタンが配列された植字機のモダニティは映えるなとか
そもそも写真植字とはその仕組とは
みたいな本当に知らないことを知る日だった
ヘアピンまみれのパンタグラフ彫刻機をみたときにも思ったのだけれど情報化の前の機械って(それぞれの部品が今のような効率化をなしえていないから)大仰であまりにも物理的で好き
博物館とか科学館で新しいことを知ることってあまりなくて
知っている内容を実際にみることを目的で訪れることが多いから珍しい体験だったな
いや知らないことも多くあるのだけれど根本の部分の知識は最低限あることが多いから
寒空のもと風をかき分けて歩いたり新しい知識を短時間で大量にインプットしたり昼食を採るのを忘れていたりと書きながらどんどん具合が悪くなってきているのでこのくらいで
もう少し写真植字について詳しくなったら追記しようかな
携帯を買い替えた
癇癪で壊してしまったから
懐は寒くiPhoneは買えなくてソフトバンクでmotorola edge 50s proを買った
機体が1万円くらいで通信料は3000円くらい
契約月は日割りらしくて11月29日に契約したから2日分くらい
11月30日にbic simに乗り換えたからそうなった
mnp乗り換えだと1万円くらいのポイントがもらえたから機体の分は打ち消さた
5 GBのプランで月1000円程度だけれど半年は500円くらい引かれる
毎月500円の出費も重いけれどやっていけないほどではない
秋葉原のビックカメラに行った
交通費がかからない店舗はここだけだったから少し遠いけれど
携帯契約のカウンターは混み合っていて店員も客も外国人が多い
忙しない言語や聞き慣れない訛の日本語で騒々しくてイヤホンが外せなかった
仕方なく日本橋三越まで歩いた
岩本町のあたりを過ぎると街は落ち着きを取り戻して多少は息がしやすくなる
20分くらい歩くと日本橋のあたりに
いざ三越へ
行く前に貨幣博物館に寄った
造幣さいたま博物館が楽しかったから行きたいとは思っていて期待して入ったのだが狭いし人は多いし展示自体も造幣局の方が興味があって満足感は低かった
立地の問題と展示の趣向の問題かな
造幣局は造幣に焦点が当てられて技術の話が多分にあったが日銀の方は通貨の歴史が主体となっている
多少は紙幣の技術とかも紹介されていたけれどいかんせん狭い
そういえば随分と昔に王子のお札と切手の博物館に行ったっけ
紙漉き体験とかをやった記憶があって良い博物館だったな
油を売りつつ三越本店へ
土曜日なのに人が少なくて過ごしやすい
ただ店員はスーツばかりでそれは少し苦手だ
法被を着たりカジュアルなユニフォームを着ている印象がある家電量販店でさえ三越内では全ての店員がスーツだった
息は詰まるが人は少なく静かだしカウンターも余裕があるから楽に手続きができた
うるさい秋葉原で慣れない英語に苦労しつつ店員をするのと
余裕こそあるがスーツを着用する必要のある日本橋で店員をするの
どっちが楽なのだろうか
給金は違うのだろうか
そういうことばかりを考えながら店員の指示のままに契約をした
変なことを考えてしまい鬱々としながら三越を出る
昔だったら何も気にせずに地下に降りて銀座線に乗っていただろうが今の私には歩くしか選択肢がなくて
陽が苦手だから歩くこと自体は嫌ではないはずなのに落ち込む一方で
追記
家ではWi-Fiを導入していないからandroidも有線lanに接続する必要があってハブを買った
UGREEN Revodok 6-in-1 USB- Hubというlanやusbやhdmiやパススルー給電に対応している
amazonでは商品説明画像にandroidの表記があったから安心していたが実際に届くとパッケージのcompatible systemには無くて不安に思いつつ使ってみると使えて安堵
hdmiはまだ試していないけど期待が高まる
機体の使い心地自体は良好
細かい動作のひっかかりやキーボードの動作などはiPhone11の方が良かったなと思うが携帯の使途なんてブラウジングとTwitterと音楽再生くらいなのだから動作で色々と言うのは贅沢だろう
カメラがあまり解像しないのも少し残念だがそもそも一応のミラーレスを買ったのだからそっちを持ち歩くべきだろう
私が十分に体力と腕力があればミラーレスにdapにヘッドホンに本に時刻表に地図に持ち歩いて丁寧に生きることができたのに
実態は小さいハンドバックに携帯電話と新書だけをいれて電車に乗っている
基礎体力をつけるための運動って最初の一歩がなかなか難しくて私は少しでも重いものそれこそミニコンポあたりのものでさえ少し動かすと体が火照って頭痛がして暫く寝込んでしまうそんな体質だから何から始めればよいのか果たして始めることもよいことなのかさっぱりわからない
そういえば健康診断で低体重で大きな病院の紹介状を渡された
食事だとかそういう方面から始めるべきかもしれない
散歩は好きなのに一向に健康にならないのはなぜ
いずれもTwitterや配信におけるコメントでみられる表現で
と理解している
前者ふたつについては「〇〇で顔ない/横転」という使われ方を後者については「歯茎みえてる」といった使い方を散見する
たまにこのような言葉を批判する声がみられるが私はかなり好きだ
インターネットでは「〇〇でワロタ」のような構文が以前から使われていて先ほどの「顔ない」や「横転」はこの流れを継承している
またこれらは「膝が笑う」や「口角があがる」と同様の身体の部位を使った比喩である
言葉に正しさがどこまであるのかは知らないが筋は悪くないと思うし随分と日本語らしいと思う
とはいえ新しく使われ出した言葉をすっと使えるほど柔軟でもないので最近は「〇〇で破顔」や「〇〇で落涙」などと言いお茶を濁し慣れようとしている
意味があるのかわからない自意識に対する意味のわからない抵抗だ
P.S.
最近は「口が〰」という表現も使っている
苦虫を嚙み潰したような顔まではいかないのだが口元は確かに渋面になっている
それでいて言葉が出ずにどうしようもなくなり広角が少しだけ上がっている状況
「もにょる」が近いかもしれない
ちなみに〰は環境によってはただのアヒル口のようになっていることがあり突然あざとくなったと思われる可能性もあるから~を使ったほうが良いのかも
・~・
定期圏からは少し外れたところにある精神科に向かうときは寄り道をする
交通費に対する満足度を最大化しようとするのは道理だろう
秋葉原の図書館で借りていた本を返す
千代田区立昌平まちかど図書館という場所なのだが所謂オタクショップから数歩しか逸れずに至るわけで異質でおもしろい
また小学校との共同利用なようで学校図書館とプールが併設になっており後者は区民を中心に誰でも利用できるらしい
駿河屋でタペストリーを手に吟味しているオタクが近くの小学校のプールで泳いだ後だとしたら傑作だ
皇居の東御苑で財布を買う
度々Twitterを中心に話題となる本革なのに安い財布であるが私もそれをきっかけに知った口でまた売り切れが続出していたことも承知していたから虎視眈々と待っていた
そうして向かった今日であるがあった色は白と黒と黄色とピンクがあったと記憶していて私はといえば白を手にした
ちなみに客の9割以上は外国人で彼らのうち半分は傘を差さないしまた半分は日本のカメラを使っていてつまりは彼らの4分の1程度はカメラが濡れることも気にせずに撮影していた
私はうごめ紀のカメラをみて車に乗っている時に小さくも急な坂を降りたときの感覚を覚えていたのだが外国人の方々はOh it’s coolなどと言うのだろうか
皇居からシェルマン銀座店へ向かう
親族からいただいた時計の電池を交換してもらうために
雨だったので疲労困憊であり雨に濡れた折り畳み傘を持っての入店であったが嫌な顔なんかせず(とはいえ私の格好は幼いので驚いてはいたが)接客をしてくれて嬉しかった
コメ兵に買収された時計屋でそんなこと言います?
いや言います
電池交換の間は精神科に向かう
前回に行ったWAIS-Ⅳのフィードバックを得られるということでドキドキしながら向かったが結果は意外なものだった
というのも私は勝手ながら飯田橋の東京しごとセンターで受けた厚生労働省編一般職業適性検査と似た項目で当たるのだろうと思っていたからだがいざ結果を受けると似た項目はあるものの他の項目が多かった
色々と目を背けたくなるような内容を突きつけられたわけだが存外にも気分はスッキリしていた
こうして皇居南東スタンプラリーも最後である時計の受け取り即ち再度のシェルマンへ
入店すると中国語を話す人がいてさっき来た時は英語だったななんて思いながら時計を受け取り退店
店員さんが「女の人は一度帰ると買いにこないから迷っていたらその時に売るようにする」と言っていて面白かった
それを普通に話してるってあなたが饗す必要のない客だと思われているのにそれに気づかなくて滑稽ですね
私の世界においては私の主観以外は存在しないので気づかずにいるほうが幸せなのですよ
あなたの世界では滑稽な私がいるのでしょうけど
帰路においては浴衣の人が散見されてスマートフォンで調べてみれば二子玉のあたりで花火大会が雨天決行されるのだとか
このまま花火会場へ突っ込むことも考えましたが歩数が1万5千歩に迫っていたことを確認して控えました
このくらい歩いてしまうと翌日は引きこもりがちですし2万歩も歩いてしまうと1日の寝たきりが約束されますから自制したこのときの私を褒めてあげましょう
世田谷の方は皇居を挟んで反対ですしね
またいつかそちらの方で予定を詰め込んで皇居南西スタンプラリーを行いたいですね
国会図書館が月ノ美兎の聖地の1つとなったわけですし
ガウシアンに似ている関数を当てるクイズを作りました
https://gist-4d0c6.web.app/fake_gaussian/index.html
オモコロチャンネルのなりすましクイズが好きなので似た形式で動画を撮ろうと思ったのですが一緒にクイズをしてくれる友人も自らの声が載った動画を編集する精神力もなかったのでポチポチと(プロンプトを入力し)クイズができるサイトを作り自らプレイして合成音声を用いつつ動画にしました
https://youtu.be/n1QUgTBjjVs
声を作るには学習素材を誰かから買わないといけませんし時間とお金がかかってしまうので既存のものである中国うさぎを用いました
身体は自分で作りましたがLive2Dに触れたのが初めてだったので本当に最低限の動きしかしてくれません
無料期間があと40日ほどありますから身体のX軸とY軸くらいは作りたいところです
そういえば昔AnimeEffectsというツールに触れたことを思い出しました
サーバルちゃんが軽快に動く様に憧れてDLし適当な萌イラストを動かしたりしてみていたのですがあまりにも破綻するのですぐに飽きてしまいました
今回のLive2Dではなんだかんだ最低限の形にはなったと考えればこの7年の成長を感じ少しだけ嬉しかったりします
私ではなくソフトウェアが成長しただけなのではなんて頭を過りましたがそんな事実は早々に忘失し都合よく生きていきましょう
一応今回の動画で使ったgnuplotのコード(これまた生成AI製ですが)をまとめたものも添付しておきます
https://gist.github.com/slnq/e4e7d55f03340630c08d08ed65e6cbf8
(a/1.1076)*(x/c-b+1.2061)**(2-(x/c-b+1.2061)**2)における
の近似値を表しているようです
ちなみにWはランベルトのW関数という関数らしくボース=アインシュタイン凝縮などでも使われているようです
浅学な私は初めて知りましたし未だによくわかっていませんがそんな状態でも使えるようにしてくれるWolframAlphaにはとにかく助けてもらっています
しばしば馬鹿にされるgnuplotの配色ですが暫くこれを使い続けていたため最近では愛着が湧いています
なにより「君もgnuplot使ってるんだね」と些細ながらコミュニケーションの契機としては十分な会話を与えてくれるプロットソフトなんてこの子だけでしょう
さて色を変える面倒くささの言い訳も完了しましたから今日も気持ちよく眠れそうです
特徴としてはこのようなところだろうか
写真においては概してひと言何かを言いたくなるわけだが整理整頓の苦手な私はテキストファイルと画像ファイルをセットで管理するなんて困難を伴うから画像ファイルより以上は触りたくなくて上のような像にした
メタデータの取り出しに関してはjpegとwebpに対応させているが色々と試してみるとwebpのほうが容量が軽いのでそちらを使うようにしている
本当はRustでビルドするタイミングで吸い出してhtmlファイルに書き込むほうが早いのだが直すほどでもないかとの所感がありまた今度に
あとはsnsにおいて写真を貼るのではなくOGPで映す像がTwitpicやらを思い出しては懐かしくて今更そんなことをしても悪くないなと思う
こういう簡単なサイトを作るうえで既存のSSGなどを使ってはドキュメントを読む時間ばかりがかかって疲れてしまうから最初から作っている
今は生成AIのおかげで簡単に作られる
おかけでコードはつぎはぎのフランケンシュタインの如き様相で薄目でエディターをみながら完成させるはめに
さてそもそも何故サイトをつくることになったかといえばカメラを買ったからであるがこの経緯も残念なものでスマートフォンのカメラが壊れてしまい曇るから代替というわけだ
とはいえ家には一応の一眼レフ: EOS Kiss Digital Nというかなり大衆的であるがよく映るものはあるがスマートフォンのカメラとして使うには嵩張るし重いから軽小なものをとNEX-C3と標準ズームレンズを世間的にはお手頃な価格で手に入れた
私にとってはかなり高かったけれどスマートフォンを買い替えるとなると安くても倍はくだらないから仕方のない出費だったと自らに言い聞かせる
その数日後に皮膚科に行ったところ施術前後の比較のためにとデジカメを取り出されてしまい私は勝手に「オールドレンズとやらを試したいからスマートフォンを言い訳にレンズ交換のできるカメラを買ったのではないのか」と痛いところをつかれたような気分だ
ちなみにオールドレンズを買ってしまうと今月の生活に幕を引くことになるからまた数ヶ月後に買おうと色々なことを調べて楽しんでいる
(これを制作の方に並べるのは本当にどうなのだろうかと思ったがリンクをもたせたいのでこちらに)
私は散歩が大好きでつい歩きすぎては足を痛くし次の日は寝込むような生活を送っていたが今は月曜日から金曜日まで朝から夕方まで予定が入ってしまうから次の日のことなんて気にせずに奔放とすることもできずフラストレーションがたまる一方で昼にも近い朝に起きてからその日の予定を考えるそんな生活に戻りたいなと思っては目頭から涙が零れそうになる
仕方がなく月ノ美兎や喜多嶋みちるやmorgenなどをみて代理散歩のような形で欲求を叶えているわけだが名取さなの「サナトリウムにいて人間世界に行きにくいからライブカメラをみている」といった発言がおぼろげな記憶から顔を覗かせては自由であるはずの私がこの体たらくかと情けなく感じる
そんな頃に「ユリイカ 2024年6月号 特集=わたしたちの散歩」が出版され少し遅くはなったが今更ながら読んだため特に「散歩番組を見るということ - 松山秀明」を参考にしながら「VTuberの散歩」動画のもつ私の好きな点について少しだけ書いてみようと思う
この批評においては地井武男の散歩の三箇条「寄り道」「人との出会い」「季節感」になぞられてテレビ的な散歩とは「省略」「声かけ」「食」であるとしている
名所となりうる場所の他をロケバスでスキップする「省略」
現地の人との会話をカメラに収めるための「声かけ」
ご当地グルメなどをやたらと美味しそうに食べる「食」
全く納得する話であるが私が食卓において散歩番組を特にブラタモリや路線バスで寄り道の旅を選ぶ理由と異なるなと思うが私のそれは消極的というのもひな壇芸人がおらずうるさい状況が少ない且つ家族で共通の話題となりえやすいからだ
食にも人情物語にも興味の無い私だが血筋に依るものではないし話を合わせる程度ならできるうえに景観や建築には興味だけはあるから丁度良く話す契機となりえるのであればそれはお茶の間を温めてくれるわけだ
しかしYouTubeで見るVTuberの動画なんかは全てが私の自由の下にあり特に友人がいない私には共通の話題なんて考える必要もないのだから心から好きなものを見続けておりその内訳として散歩動画が上位に上がってくるのだから面白い
何が魅力的なのだろうか
VTuberによる散歩の三箇条として「省略」「実在」「独り」を考える
テレビ同様に存在する「省略」は私達に見どころのみを見せてくれて飽きを忘れられる
最近は中の人として顔を出すVTuberなども増えてきているが多くのVTuberは中の人の姿を隠して活動していてカメラを通して彼らの視線を追体験できる散歩にみる「実在」性は計り知れない
また
委員長が知ってる場所歩いてるの、生きてるって感じがしてすごくいい - さわやか@user-oy2hn2xn7s
推しが家の目の前通ってて驚愕した - バンコ。@user-gj6mn1bp2f
のように自身の生活圏に彼らが現れることにより感じる実在性は音楽ライブを始めとするリアルイベントを超えるのではないだろうか
また彼らは基本的に「独り」で散歩をする
月ノ美兎が飲む温泉を買ったときなどには散歩の中で店員と話した様子を面白おかしく話すがその人間関係は些細な景色のように流れ去っていく
VTuberに限らずにフアンが見たいのは他でもない彼自身でありそれをより詳しくみるために彼の交友などに手を広げる
であれば彼の実在性や思考を他の要素を省いてみることのできる散歩とは相性の良いテーマなのではないのだろうか
一方で散歩を動画に仕立てるのは困難だ
テレビ番組がなぜ「声かけ」や「食」を取り入れるかと言えば撮れ高になりえるのがそこであり時間を稼げる要素でもあることはモザイクで隠された美味しいのかも想像できない皿をCMの後に引っ張る様子を思い出せば腑に落ちるだろう
VTuberの散歩動画においても「食」は頻出だがそれが大いなる時間を占めるわけでもないし前述同様にそれは1つの景色に過ぎない
では月ノ美兎がなぜそれを成立させているかと言えばmocopiなどを含めた動画編集技術と話を含めたセンスと言わざるを得ない
またVTuberではないがmorgenはその文学的な語りと可愛らしい顔で保たせているようにみえる
そんな中で登場した革命児的な存在が「ドロッセルマイヤーさんのさんぽ神」であろう
やたらに複雑になった「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」や「ローカル鉄道寄り道旅」ほどでは無い緩いルールによって散歩が面白い企画となり動画として成立させつつも散歩自身のもつ魅力を殺すことなく共生させられている
「さんぽ神に従うこと」が目的となっては無目的でこそある散歩たりえないのではとも逡巡したが「無目的な散歩」の内側に目的を作り出している以上それは散歩であると言えると私は思っている
動画撮影を目的にしていてはどうなのかと言われたら閉口せざるを得ないが私は散歩を目的とした散歩をしているとでも返そうか
ここまで駄文を読んだ奇特な者たちはVTuberの散歩動画に興味を抱いたと信じても分の悪い賭けではないだろうから何本か紹介しようと思う
さんぽ神をむさぼるだけの動画
京都に住まうものへの漫然とした憧憬を抱えながらみるわけだがやはり観光地を普段の暮らしの舞台とする者の視点を借りられるのは特別だ
また布のランドセルを背負う小学生をみて革からの変遷を思うなど散歩中の思考を垣間見ては共感なのか口角が上がる
【さんぽ神】Vtuberだけど散歩がしたい【実写】
撮影のために東京ではなく「昔来ておっとりした町だった記憶のある駅」として鹿島田からのスタートに決めているのが動画としての散歩の良さが垣間見える
加えてふもふも的ぬいぐるみが各所に登場するのがオタクのTwitterを思い出してはそこに無い連続性を感じられて散歩の範疇に収まらない動画であるように思う
「お告げ」に従い東京を大移動してみたよ【槌井こだまの散歩道】#1 #さんぽ神
きれいな夏空の下で嫌気の差す暑さにうんざりしながらもうだうだと政治って選挙って難しいななんて考えながらぶらつくのってかなり散歩だと思うし私もそういうことがよくよくある
中学の頃の記憶を手繰っている様はかけがえのないものでこれを簡単にみられる時代というのはかなり嬉しい
【実写】神のお告げに従った結果【さんぽ神】
ナレーションと散歩時の音声が混在しているのが追体験としての現実感を補強している気がするなと思いながらみていた
これらの動画の中でもかなり見慣れた場所だったので素通りしていたもの特にボルダリングの地面verなどには若干の悔しさを感じる
お告げに従っておさんぽ!! #ジオテクノロジーズ #さんぽ神
かなり特殊な散歩動画で自身の所属する会社の開発しているアプリの宣伝を動画の目的の1つにしながら散歩をしている
稲門ビルの鉄骨を剥き出しにするデザインに度肝を抜かれた記憶があるので地味と一蹴されては驚くがスペインの大聖堂がモチーフの建築に興味を示していたので好みの問題なのだろう
【さんぽ神】東京VS九州|お告げに従って都内を散歩せよ! #ボードゲーム #vlog #日比谷すずめ
北九州でお告げに従って散歩する
異なる場所での同時の散歩はバスVS鉄道乗り継ぎ対決旅を彷彿とさせる挑戦的な動画と言えるだろう
東京都心と北九州の対比が面白くまた違う場所の散歩を「さんぽ神」により繋ぐのは新たな可能性を感じざるを得ない
蟹さんぽ in 札幌
これは蟹自身が散歩をしているのかは怪しいなと思わせる3Dモデルの動作からの懐かしいことをするで確かに彼が歩いているのだろうと思わせておいて最後の車らしき視点から走る彼を見下ろすという構成にVTuberらしさを感じる
また生物も地学も何も知らないから確かなことは言えないが針葉樹林がみえては植生の違いを感じて北海道を思い知って少しだけ涼しくなる良い動画
浅草で大切なことに気付いた西園
観光大使に向いている動画の方針かと言えばそうではないだろうと言えるが世界観は精巧で短時間ながら満足度の高い動画が多い
タンスの奥から発掘したカセットテープを再生してみたときに出てきてほしいホームビデオの香りを残している
〈Vlog〉神社をお散歩〈残留しねん/vtuber〉
場面がさくさくと切り替わりどこが気になったのかが顕著で余韻がなく情報が流れ込んでくる散歩としては特異な感覚を得られる
しかし観光地を歩いては実質的にこのようになっているようにも思え散歩との違いを少し感じたり感じなかったり
川へいざなう謎の少年!危険な遊具!お宝本探検隊の決死の調査を見よ!【無月めもり/ライヴラリ】
これまでとは異なり人との交流に重きがおかれる
私達が追体験を切望する対象は少年になっていて白いワンピースの少女に向日葵畑で会えなかった過去の私の不運を嘆いてはこの少年を画面越しに羨ましがるしかない
公園で知らない子供と遊ぶ一般20代男性
ひとまわりからふたまわりも離れたお兄さんお姉さんに偶然出会って衝撃的とも言えないが確かに心のどこかには残るような経験をしたいというのは贅沢な話なのだろうか
いや思い返せば私にもそんな経験はあったような気はするが禄に思い出せないあたり彼らにとってもそのような日常の1ページとして忘却に置かれる出来事に過ぎないのかもしれない
【裏砂漠】日本にも砂漠があった!?【伊豆大島】#creepyfridaynight #喜多嶋みちる
調査という名の観光に重きがある以上は散歩ではないのだろうがもはや私のおすすめVTuber紹介のようになっているのだから許されるべきだ
人の良いおじさんに案内してもらって観光を楽しむなんて人当たりが悪い私には縁のない話で動画を通して疑似体験ができるというのは嬉しいがそこで思うのはテレビとの違いでそれは大きいカメラがなくともこのような態度をみせる地元の人間への僅かな希望だろうか
【ARu子】ヒマ過ぎる女子高生がお散歩実況♪
もはや散歩ではなくてTwitchなどでみられる散歩動画の動画視聴の様相を示しているが彼が普段何を撮っているのかが垣間見えて面白い
自由な映像とストイックな面白さの音声でのギャップは何を言うか考えながら撮っているのかなと思ったが恐らく大量の動画を普段から撮っていてその中から女子高生に話させたら面白いであろうものを抽出しているのだろう脱帽
匿名ラジオ/#144「春だしお外で散歩しながら収録しちゃお~~!!!」
さて散歩動画に映像が必要だなんて当然ながら固定概念であるとは最後に言っておこうと思う
確かに写真は多用されているがオモコロの方からmp3で聞いても十分に楽しめるばかりか散歩の様子が伺えるわけだがこれは道端の景色を会話の肴にしているためにうまく噛み合っているのではないだろうか
読書文化のマチズモを目にしてからというもの様々な行為のひとつひとつに社会に対して順応な才をもたない者の見方を考えているような気がするが散歩なんてのは最たる対象で私が車椅子になったところで成神陽太は現れない
そうした時に私の取る行動は今以上にYouTubeを通した世界の観測を強めるだとか名取さなのようにライブカメラに夢中になるだとかそうなるのだろうか
地獄でなぜ悪い Covered by 名取さな
あのイーハトーヴォの
で夏、風たっおときす
も底に冷たさをもつ青
森いしくつう、らそい
で飾られたモリーオ市
かひらぎらぎの外郊、
る草の波。
のように奇数行は左から偶数行は右から書く方式で目の移動を最小にできる長所を持つ記法
Dvorak配列と近い匂いを感じる
そこでColemak配列に当たる代物を作ろうとの試み
まず日本語は珍しく縦書きも横書きも普及していてこれを利用しない手はない
また右から左へ書いていく方式は馴染みがないからやめる
つまり
という否定記号¬のように読んでいく方式を提案する
名前は否定書きとしておく
先の例に当てると
あのイーハトーヴォの
風、夏でも底に冷たす
いそら、うつくしさき
られたモリーオいをと
外のぎらぎら市森もお
る草の波。ひ、でつっ
か郊飾青た
慣れ親しんだ横書きと縦書きから成っていて読みやすい
とまではいかなくとも牛耕式よりは幾分よいのではないだろうか
目線の移動量については実感が湧かないだろうから目を移す文字数で計算してみる
このプログラムを用いて計算とプロットを行った
それらの総和を視線移動文字数とし比較をすると下の画像のようになる
今回は高度合成数から1260文字で固定して縦の文字数を横の文字数で割ったものを横軸にし視線移動文字数を縦軸に置いた
縦の文字数が横の文字数より6.43倍までは否定書きの方が視線移動文字数が少ないわけだから有用な気もするがいかんせんこんな比率で書くことも無いのだろうし具体例でみたほうが実感が湧いて良いかもしれない
手元の新書42行16列を利用すると横書き1246.365152縦書き1271.182900禁止書き1167.660476となり禁止書きが優勢
これまた手元にあったものでは38行16列で横書き1126.231966縦書き1147.202666禁止書き1045.636821で相変わらず
35行36列で横書き2415.485615縦書き2414.514595禁止書き2069.214987となり同様
16:9FHDのディスプレイで初期状態のChromeを用いたところ28行34列となり横書き1815.408997縦書き1809.610902禁止書き1572.829309でWEBでも通用するよう
同じ環境でTwitterをみると5行33列で横書き263.939380縦書き288.062485禁止書き278.493361となり普通の横書きの方が良い感じ
またiPhone11のアプリ6行26列も横書き275.099960縦書き257.475488禁止書き65.614259で縦書きが良いなんて結果に
慣れることで横書きや縦書きと遜色なく読めるのであれば視線移動文字数が減っている以上は効率的と言えるかもしれない
ただ私は医学に明るくないので視線の移動がどのように起こっているかも知らず正しい計算かは確かでない
またインターネットが今ほど普及していない2007年の調査日本人の読書離れは進んでいるのかにおいても読書よりインターネットに時間が割かれており現代ではこの傾向が顕著になっていると考えられWEBへの対応がより肝要と考える
頁による隔たりのないため単純に文字数から縦横比を選ぶのではなく画面に表示される文字数に応じてレンダリングしていく必要がある
これに違和感なくスクロールを落とし込むと手法が思いつかないがスクロールしたら書いてある文の全てを更新するくらいだろうか
本に関しても縦書きが混じるため数式や英語を使えないといった問題も生じる
また文章が避けるような画像の配置をすることにも困難が伴うだろう
WEBなら簡単に作れるので取り敢えず試すのが肝要に思える
簡単に作ったものとそのコード
面倒なのでスマートフォンには対応しておらずマウスのスクロールによって次が読める
次を読もうと右下から左上に視線をやるとどこまで読んでいたかがわからなくなり全く読みにくい
試してみないとわからなかったので作った甲斐があった
視線移動文字数からは楽に読めるであろうと考えられた禁止書きだが実際に試すと読みにくく良い書き方とは言えないだろう
この結論に落とし込むと文章は書けるのにやたら無知な読書感想文賞レース常連小学生かストーリーの為に頓痴気な予想をたてる卒研生のようで嫌だ
そもそも牛耕式のメリットは視線の移動量よりも文章に関係ない部分のために目線を動かす必要がない点にあるなんてわかりきっていたことなのだから
無為
最近もまた鬱々として学校へ行かずに布団の中で時間を耐えている
どうにか打開するために埼玉にある造幣局へ行ってきた
近くに放射線廃棄物があるとして有名なところ
平日の昼は小さい子と親がたくさんいる
羨ましいなと思った後に2歩ほど歩いては小中学校をやり直すなんてあまりに過酷で全く都合の良い考え方だと自らを嫌悪
そのまた2歩進んでは親でなく子に羨ましさを感じたことに気づき主観年齢の低さもしくは社会的成功への望みの薄さにまた嫌悪
いざ博物館に入館すると受付の方が手招きをし着いては必要事項を書き説明を受ける
随分と丁寧で長い説明を受けると昼休みにかかるから先ず工場をみると良いと勧められてはそちらへ足を運ぶ
工場では腰から天井までがガラス張りの廊下を通って働いている様子を眺められる
彼らはみられることに慣れているのか普段通りに作業をしているが私は全く心地が悪い
こうやってガラスで隔て働く様をみては歴史の教科書でみた近代化以降の工場における意地の悪い生産管理者のように思えてくる
もしくは暇そうにぶらつき学生の回答をみては鼻で笑う試験監督だろうか
早々に博物館へと逃げ戻り彼らが昼休みをとっている間に私も心を整えようと展示をみ始めては1組の母子がいてなんだか安心した
仲の良さそうな彼らが退いては興じていたその機械に向かうと硬貨の診断ができるようなので所持していた5円玉をいれてみると直径や厚さや重さから硬貨の健康度合い(摩耗しているか)を検査してくれ写真までつけて結果を印刷してくれた
嬉しいのだけどそれよりも検査の機械に書いてあったKEYENCE GT2の文字に見覚えを感じてそればかり覚えている
他にも展示はいろいろとあって
などなど
おおまかな内容は
https://www.mint.go.jp/media/2023/03/ayumi150.pdf
に載っているかも
歴史について展示でも上のpdfでもいきなり出てきて解説もされないジャンビエ社の縮彫機なのだが英語なら多少の情報がある
アメリカが1907年に購入する前の1904年に日本では導入されたというのは意外だが今の途上国においてどうせ0(というと失礼だが)からのスタートならとガソリンではなく電気自動車のインフラを整えているのと近い話なのかなと思う
製造過程については100円硬貨の粘土原型や転写に用いる極印など貴重なものがみられた
こういうものを展示しても偽造されないというのは相当な技術なのだろう
いやこんな展示は別に偽造への寄与をなさないのだろうか
万能鑑定士Qを思い出したがあまり話の内容は覚えていない
技術紹介ではおかれたテクノプルーフ硬貨セットに心が奪われる
と4つほどあるようだ
技術系の展示会が好きな私はこういう開発中の技術を取り入れた試験品といった一面ももつ商品がお気に入りでこれから販売されたらぜひとも購入したい
記念硬貨の展示では(記念貨幣を中心とした)外国貨幣の展示が印象深かった
硬貨を他国に作ってもらうなんて大丈夫なのだろうかとも思ったが
明治2年(1869)年、加納夏雄とその門下生により進化兵の見本を製作しましたが、その作品は当時造幣工場の建設にあたっていたイギリス人の建築技師ウオートルスを「わざわざイギリスに極印の製作を発注する必要はあるまい」と感嘆させたほど、見事なものでした。
この見本をイギリスに送り、極印を注文しましたが、イギリスから到着した極印は拙劣で用をなさず、加納夏雄の手で修正しもちいることとなりました。
とも展示があったしそこは信頼関係なのだろう
あまりテレビを観ないので詳しくはないが日本礼賛番組のネタにでも良い内容かもしれない
勲章の展示これが最も印象深い
撮影こそできないが生で近距離から大勲位菊花章頸飾をみられるなんて滅多な機会ではないだろう
それにしてもこの執念を感じるやけに細かい彫刻をみていると目眩がする
そのまま順路を進み褒章をみてやっと正気を取り戻した
紺綬褒章くらいなら手は届くだろうか
こうして気概もばっちり
明日からは学校に行くぞ
などと思いながら帰宅し安かったから買ってみたキートップに模様替えをし写真を撮ってsnsに投稿したところpcに映っていた蛇島めのうさんから反応をいただき気持ちの悪い対応をしてしまった
めのうさんの声と話し方とコメントから程よく分岐する話題が雑談配信としてあまりにも私好みで一昨日くらいから延々と雑談の消化をしている
やっぱり明日は学校に行かずにアーカイブを観よう
ThreadsがActibtyPubに対応せんとしTwitterからの鞍替えを画策する者に追随しないは全文検索の不足に因る
VTuberの配信にしろアニメにしろリストやパブリックサーチを用いた実況の監視は欠かせずTweetdeckが潰えてからというもの楽しみも半減だ
さてオフレコ黛冬優子フィギュアの予約が開始されてからというもの悶々とした日々を過ごしている
というのもフィギュアを欲しいと感じたのが生まれて初めてでまたこの感情が特段好きなわけでもない黛冬優子に対して抱かれたから
この原因として自らの趣向よりもオタクとしての琴線が手前にあるのではないかなんて考えていたが釈然とせず
それはそうと収入のない私には2万円もするフィギュアの予約を即決できるほどの胆力がなくTwitterのオタクの言説をみては少しづつ予約購入のボタンに迫っている
その過程で並ぶアニメアイコンに見惚れて合点がいった
どうやら私は黛冬優子を好きな者が好きらしい
だからこそ私自身も私から好かれるために黛冬優子を好きになりフィギュアを買わんとしているのだろう
ただのオタオタであったが対象に自らが含まれては「〇〇が好きな自分が好き」に切迫する
これを批判する意見がみられ始めた頃から一貫して自身を好むことは全く素晴らしいことで否定される謂れはないだろうと思っておりとかちつくちてに頷く
しかしそれでも唯一の救いであると縋ったものを外聞のために着飾れては怒髪天を衝く気持ちもわからなくない
そういえば初鹿野ことなが"無さ"にアイデンティティをもつことの危うさを話していた
せめて彼女においては私を介在させずに好きであることができていたらよかったが
安土桃と勇気ちひろの引退を受けて茫然自失としているがここ数年は彼らの配信を観ておらず🔴【マイクラ】やる!【岐阜鯖】やマシュマロは甘えあたりを繰り返し観ていた程度でアーカイブが削除されないのであれば特段変わらない日々が続くかと思われるが実情はそうではなく
コロナ禍で延々と配信を垂れ流した学生が相当数いるようだが私はむしろ18年19年が暇で暇で常に配信を(また当時は配信が無い時間もあったから)アーカイブを複窓して24時間分以上の情報を取り入れては疲れて寝るを繰り返していた
19年の前半はその中でも特別でそもそも始まりがバーチャル大晦日2018~みんなで年越しブイッとね!~という今では考えられない素晴らしきイベントなのだからそれはそれは思い入れがある(Count0も触れておいたほうが良いのですか?)
知っている曲が禄に無い紅白歌合戦(も今思えば良いものであったが)を聞きながら冷えて尚味の濃いおせちを食べそれから深夜にも関わらず蕎麦を食べさせられ近くの寺に寒いなか除夜の鐘をつきに行く大晦日が嫌いで例外的に除夜の鐘をつきに寺を訪れて出会した友人と甘酒を乾杯しては深夜の特別な感覚を楽しんだ思い出もあるがそれさえもバーチャル大晦日の前では無力であれ以来の年越しはドンバギとツイートしてみたり(青道アカトがなぜか全員のドンバギツイートをふぁぼしていたのは今思い出しても面白いな)脳を吸われてみたりして楽しい年末年始を過ごしている
2017年の12月に大きく広まったこともあってかVTuberの思い出振り返ると冬に集中しがちである
2月序盤の寝ても醒めても宇志海いちごがマインクラフトをやっていた時期や卯月コウの鍋ラップや堂に入りつつある雑談など未だに鮮明に覚えている配信も多々ある
23年は好きなVTuberの引退が相次ぐ
初鹿野ことなについてはこれ以上に語り得ないので
読谷山文乃は痕跡をすべて消されてどうしようもない
彼女のラジオはかなり都合がよくて社会へのコスプレとしては電車で聞いていたのだが専ら最近はSpotifyになり代用なんて無いと思い知らされる
ライヴラリ
についてはゲーム部に近いものをみるしアマリリス組がいかに異質かが際立つ結果となっている(アズマリムとか周防パトラのような例もあるが彼らの負ったものに比してはやはり特殊なのだ)
赤月ゆには話が好きで餅月ひまりは趣味が近く図月つくるとは専門(というには浅く広いそれ)が被り(ヘアピンまみれとは知識が全く被らずそれはそれで面白いが)無月めもりの実写は相当に好きだった
VTuberの実写(手などを出すはんなま系VTuberとは違いいわゆるロケ)が大好きで以前は月ノ美兎の影響かと思っていたが更に遡りにじさんじのくじじゅうじに囚われているからなのではと最近は思っている
以前に久遠千歳をいないようにあろうとするVTuberに惹かれるものは大きくとしたがそもそもが存在せざるを得ないVTuberという枠組みの中で順当にあろうとする行動もまた好きなのだろう
KMNZ LIZはかなり早くから歌を主軸にするVTuberでKMNZから広がっていったところはあると思うが彼らの運営者もまたなかなかでよく長い間活動したなと感じる
そういえばエハラミオリも表舞台を降り(ワニとコウモリ リリースパーティにでたりはするが)岩本町芸能社も消え本当に大きな変化のある年だった
The essence taiki editが大好きでエハラミオリと桃で曲を作ってほしいと思っていたが叶いそうもない
陽萌のの子についてはアイシーも非公開にしていよいよ半永眠としている
Twitterの方に短時間ながらあがっているのがせめてもの救いだ
白河つきよの活動が2ヶ月ほど止まっているのも憂慮しているが実生活が忙しそうな人だし深刻ではないだろう
相方は元気にTwitchで活動をしているようなので心配することもない
私は確かにYouTubeで実写の人間を観るのが苦手だが別に現実に興味が無いわけでも無く坂本龍一や松本零士が亡くなってしまったのも相当に悲しんでいる生産者→成果物
という構図において前述の2人の死は生産者の消失を意味し新しい成果物が生まれない以上の効果は無いがVTuberについてはそうもいかない
VTuberの引退においてはあたかも生産者が消え(動画やツイートが消されなければ)成果物は残るという同様のかたちにみえるが実態は成果物そのものが消え失せ生産者の存在を確認できないながらも感じ続けることとなる
もしくは生産者→成果物→作品
とすればわかりよくこのうち引退は成果物のみが抜け落ち生産者 作品
となってしまう
時には
生産者→成果物(旧)→作品(旧)
↓
成果物(新)→作品(新)
ともなり自らの誠実さを考え直す日々だ
美空ひばりや手塚治虫ではAIを用いた復元のような取り組みが行われ生産者(真)→成果物(新)←生産者(偽)←成果物(旧)←生産者(真)
のような様相でありこれもこれで残酷といえよう
こういう人は人を創れると考える高い理想を捨てれば多少は楽になるのだろうが
靄を凝縮する日々に別れを告げられるほどに成熟する人間を冷血とするだろうし
周りの目を気にして初詣で食べなかったガリガリ君も今年こそは
電車を降りるときにでも転がる空き缶を回収しようかと思っていたらひと駅手前で降りた若い女性が代わりに捨ててくれた
こう拾おうとしていた人間がいうと説得力も無いが随分と珍しいなと感じる
捨てられたそれはモンスターというエナジードリンクでそういえばコーヒーとエナジードリンクが概してポイ捨てされているような気がする
飲み物を買うことが少ないので知らないが缶の飲み物は他にはないのだろうか
さいたま芸術祭に行ってきた
十日町が被っていたこともあり往路は少子化が嘘のように若い人で溢れていた
会場である旧市民会館おおみやの前でたむろする髪を染めた大学生に思わしき集団や周りを気にせずに写真を撮る二人組をみて入場を諦めた
さいたま市によって隠蔽された大宮市は今なお健在で帰路にみた三菱マテリアル跡地の大きなマンションはそれを正当に更新する
しばしば浦和対大宮のように謳われることがあり似た二大都市のように思われるが趣がかなり異なる
上野の博物館に行くような気分で訪れた人は辟易とするのではないだろうか
埼玉で偏差値の高い代表的な高校を並べると
となる
未だに公立の上位校が共学に変わっていないのは珍しく(?)浦和とはそういう地域な気がしている
さいたま市のなかでも緑区に次いで0~14歳人口率をもつ浦和区だが子育てに向いているかといえば微妙だろう
一方で商業施設では似たような様相で大宮の近くは
浦和は
と百貨店も月賦屋もある
ちなみに新都心のコクーンは大宮の面をしているが実質パルコといわれる
せっかくなので浦和に寄ってから帰った
駅の近くではモンスターが配られていて老若男女が並んでいた
ここは休日にイベントへ参加してしまった自業自得ということでひとつ
文フリ36で買った青春ヘラ5も7も読み終えてはいないが37へ向かう
目的は
といったところ
いつもどおりVTuber関連の本を買う感じ
今月はこれらに加えてユリイカ2023年12月号 特集=長谷川白紙も買うので財布が心配
良い機会なのでVTuber周りの本を整理しておく
noteとかを読んでいると引用とかもなく〇〇のnページにある通り~のように書かれることがたまにあり手元に置いておくことの大切さを感じている
持っている本
欲しい本
今見返すと来場者層についてばかり書いていて本をもっと見ろと苛立つ面も
日常に即したというのは料理の本が置いてあったのが衝撃的だったからかな
次回から有料になることからもわかるようにオタクイベントの1つとなりつつあり大きく動いた回が36だったなと思う
先日のNT東京とかと比べると服装や外見に気を遣っている人が多くこれまた現代的なオタクといった様相だった
苛立つとかなんとかいったけどやはり先ず客層に触れたいのだが36よりも随分と丸くなったような気がする
寒いからかな
けれど客足は遠のいていませんね
小説メインのA会場は軽く歩き批評メインのB会場を中心にみていた
前述の
以外にはコミュニカシオン第二号を購入した
郊外に嫌気がさして地方都市への転居を決め半年をきった今に丁度良いと感じたため
それと小さい子供を連れてきている人がおり驚いた
将来が楽しみなような
ユリイカを買いに行ったのだが結果としては何の成果も得られませんでした
定期圏内にhonto系の本屋が4店舗くらいあるのだが大きい駅が最寄りでは人混みも相当であるし距離もありそうに思ったので適度に都会から離れたところへ行ったのだがこれが良くなかった
都会の本屋以外の経験が薄かったせいだろうが品揃えの悪さを全く見積もれていなかったために青土社の本なんて見当たらず店員も(少なくとも表には)1人しかおらずレジにいるため聞くこともできない
加えて悪いことにその土地があまり好きではなく実際に客層もなんだか苦手でじっくり探すことも出来ず動悸のなか退店する他なかった
そもそもhontoのポイントを消費しようと家からほど近い贔屓(というには浅はかで子供の頃から使っていただけであるが)の紀伊国屋を裏切ったのが悪かったように思える
せっかく今日は暖かい日であるから嫌々ながら外に出て赤く染まるもみじに見惚れて前からくる方に当たりそうになるのを精一杯かわすなど日常といえるなにかを得られるように思ったのにこうして締められた一日は暫く私を苛み布団に依存させるんだ
失敗からくるトラウマというのはなる前に同じ行動で成功することで予防できるようなので明日こそ都心の本屋でポイントを使ってユリイカを買おうと思う
こういう行動に至るというのは最近の少ない成長の1つでどんどん私を嫌いになっている
幼少期によく行っていた商業施設まで歩いて行った
あの頃は専ら自転車か電車でそれでもかかるなと思っていたのだが15歳にもなると生活圏が広がり1時間の電車通学が普通になった私には歩いて30分も苦ではない
研究の響きに憧れた施設は潰れて下らない高級マンションやら少しくらい遊具を置いてやって欲しいただの芝生やら博物館を備えた国の施設となっていた
しかしそこには少子高齢化を感じさせない数の子どもとそれを尻目に談笑する母親がいて放射能汚染の噂が絶えない研究施設より遥かに良い光景なのだろう(その噂のある場所に大量の子供がいるのもまた良い)
商業施設は平日の夕方で近くの高校生が多くおり活気にあふれていた反面、地域のイオンさながらに椅子を占領する老人がみえ変わらないなどこも
帰りは強風の中を闊歩する
帰りコンディショナーをすると普段より多くの髪が抜け自分を褒めた
久しぶりに行った秋葉原は知らない街だった
コロナが終息しマスメディアがインバウンドだなんだと言い出してから行くのは初めてだろうか
以前は中国語話者が多く次に韓国語しかし彼らを足しても日本語のそれには及ばない割合だったように思う
今日は非アジア人が多く様々な人種の方がいた
ソフマップまんだらけ駿河屋トレーダーなど色々と巡ったが店内もとにかく外国人ばかりだ
日本人の方が少なかったのは今日が平日だったからだと信じたい
それはそうと同人誌や美少女ゲームなどアニメや商業漫画と比べればメジャーでない分野を扱う階にも多くの外国人がおり意外(SCA自が中国で人気以上の情報を知らないため)
また駿河屋の美少女ゲームの階ではメイド服の女性が店員をしており平日なのに!?などと驚いていた
私の秋葉原観は俺妹で決定づけられているので電気の街というよりオタクの街の印象が強くメイド服をみると喜んでしまう
祝日に敢えて商業施設へ行くという愚行
水曜日のところとは別のしかし都内ではないところへ行き郊外の人口密度を体験してきた
やはりショッピングは平日の昼に限ると改めて思う
NT東京へ
ポスター発表で誰にも質問ができず他の人と話している後ろで参加している風を装うあの時間を思い出した
展示自体は面白く気になるものは少なくなかった
特に気になったものは
あたり
それとニキシー管が流行していてニコニコというよりはツイッターによってきているなとの所管
楽しかったけれどコミュニケーションの不得手より苦汁を嘗めることとなった(1対1だから厳しいので友達などを誘えば良いのだろうが友達もいない)
年齢層としては電気や機械の設計をして参加への諸手続きが出来る人たちという感じ
参加者側も若い人は多くない一方で普通に科学技術館に来ていた子供とかもいた
大学を出ると高給になりがちなのが情報系であり趣味として続けやすいのも情報系となっては若い人が電気や機械から離れるというのも納得
トボトボと会場を後にして皇居東御苑に救いを求めるも外国人が多く空気感が苦手で庭園美術館を懐かしみながら電車に乗る
生徒がやけに多い
ゆとり教育が尾を引くなかで義務教育を終え高校へ通わなかった私には土曜日に制服を着て電車に乗るという体験が全くわからず漠然と羨ましい(当人からしたら休日授業なんて堪らないだろうが)
月曜日に備えて家から出るつもりは無い
ネットショッピングで注文していた商品が届いたので早速SwitchのUbuntu化を行う
無理だろうなとは思いつつもSteamの導入を試し失敗
一番の目的はiOS以外の携帯端末が無いために私が動作確認用のAndroid端末を手に入れることなのでUbuntuにはさっさと御暇してもらう
Androidをいれてヘブンバーンズレッドをいれてみた
動作は思ったとおりスムーズで無かったのでWebサイトの動作確認にも微妙かな
ヘブバンをプレイしている様子の画像は祖父の形見の一眼レフで撮ったもの
いかんせん古いカメラなうえ私自身に技術が無いわけだが満足できる写真は撮れるので暫くはこれで練習かな
結局家にいた
明日こそは学校へ行こう
chatGPTと戯れることを主目的に以下の静的サイト(とは名ばかりの生html)を作成した.
動画編集が行き詰まるとイージングを弄って一日が終わる.
そんな中で気づいたのだが,イージングは大抵のソフトでベジェ曲線により制御されていて,手描きなんて中々みない.
便利になるとも思えないが物は試しで手描きのイージングを試す.
https://gist-4d0c6.web.app/draw.html
これくらいの実装なら適当に頼めば書いてくれるだろうと思ったが,細かく手順を書かないと思ったようなコードをくれなかった.
結局
を書いてもらい,jsで取得したマウスの軌道をcssのeasing-functionに当てる肝の部分は自分で書いた.
コード: https://gist.github.com/slnq/5cf7fc14dc1c7d2fb10b7f8f0516977d
cssのcubic-bezierは3次に限定されているようなので,4次以上のベジェ曲線に対応するイージングも作ってみたい気持ちはある.
B-スプライン曲線にも興味はあるが肝要となるn次におけるn+1点での制御では始点と終点を固定することが出来ず面倒事が多そうだなという思いが強くある.
随分前に作ったので動機などは覚えていないが,VTuberの3Dライブで3D空間に置かれたモニターを敢えて荒いドットで現実のライブ然と実装していることが気に入って作ったような気がする.
https://gist-4d0c6.web.app/circle_dot.html
これは結構ChatGPTが書いてくれたんじゃないかな.自分で書いたら入力した画像の解像度に応じた円の大きさと量を設定する気がするため.
いまから加筆修正してもいいのだが形になってはいるのでまぁいいかな.
コード: https://gist.github.com/slnq/925eda31999a88c527170377a1d6478b
円を小さくし数を増やすとモアレのようなものが見えて面白い.
面白いが携帯では重くなってしまうのが問題.
それぞれの記事を書くほどの内容でも無いのでまとめてしまったが,このサイトでは複数のURLを⧉から飛べるように設定していないので改変の必要が出てきてしまった.また近いうちに.
【影響学セミナー|第六セミナー《イメージの影響学》(小沢健二 東大900番講堂講義)】への出席が認められた.
ここ数日はTwitterで延々とパブサをしては未だメールは送られていないようだなと逸る気持ちを抑えていたりしていた.
私への出席を認めるメールは20時頃に来たのだが,Twitterにはもっと早く具体的には16時頃に届いている人がいた.
この間は地獄だった.これまでの人生において志望校に落ちたことも無ければ,単位を落としたこともなく,挫折した経験もない.運も良い方で応募したイベントに外れた記憶も無かった.ここの講義への参加が認められなくば,私のレポートが低質だったということに他ならない.本当に認めたくなく,レポートを読んだ方との相性が悪かったのだ等と思っているとメールが来た.
嬉しくて仕方がない.しかし参加できる喜びよりもレポートが評価された喜びの方が上回っているように感じては競争社会にしか生きられない悲しき教育の賜物だななんて自己承認の喜びをごまかすのである.
日本の大学受験、ゲーム性が高すぎて、学問に対して造詣も興味もないゲーム依存性患者が結構簡単に高学歴になれてしまうという重大な欠陥を抱えてるな。
法政経が人文より上にみられがちなのは上という概念からしてこのツイートを表していて苦手だな.
時が経つのは早くてチケットを発行できるようになったことを伝えるメールが来るも先延ばし癖が強く講義の前日にやっと発行するがLoppiを使うのが初めてで慌てた末にチケットを受け取り忘れて退店した.
しかし延々とTwitterをみていたおかげでパブサにひっかかっていた同講義受講者のチケット画像のツイートを思い出し引き戻そうかなと思うもチケットを受け取り忘れたなんて思われては恥ずかしくて仕方がないから適当に散歩してから戻り店員にのみ恥をかきながら大いに謝罪し感謝を伝え入手した.
それまでの散歩はチケットのことばかり考えていたがここからの帰路においては専ら受け取りの失敗についてのみ考えるわけで普段より大幅に遠回りをし私の注意力散漫さや社会性の無さを思い知り遊歩道で足を止めるなどし少し驚くと同時に衝動的に起き理由が定かでないことが往々にしてあるというのも納得がいった.
それにしても店員さんは優しく私が取りに戻ると「チケットを取りに来てくれたから対応しておいて」と他の店員さんに言ってこの「来てくれた」が嬉しくて仕方がなかった(店員さんは灰色のカラーレンズをしていたから怖そうだなと感じていたが思えば私も普段からカラーレンズを着けているし周りからはこのように思われているのだろうか).
さて当日は午後に起き苦手な渋谷を突破するなどしてあまりに普段通りなまま講義が開始となる.
講義の前半は色々と注釈しながら進む訳だが一切の説明なしに郵政省との言葉を出されて随分と好きな空気感があり期待感が増す(私が物理学を物理学として初めて習った時の先生は函数と書き大蔵省とよぶような人でどうにもその頃を忘れられない).
教科書を見直す事なく帰路に於いて書いている今であるが印象的だった3点を一先ず書こうかな.
プラトンのイデアに関してを褒めた後にトップダウン的もしくは優生思想を孕む彼の哲学を「読むのも嫌だ」と下す.東大で、大学在学者もしくは大学職員のみを対象にし、作文で人を選別した後に、行う講義でこのようなことを言われても特に思うことはない.人文学系の講義というのは往々にしてこういうことがあり今の学生は授業中に声をあげることもないとわかっているから議論にもならない.これは全編を通して日本を西洋化の中でうまく立ち回れていると褒める彼がアメリカに住んでいることにも繋がるポジショニングである.
(なんだかファスト教養のように)様々な分野を話されていた中で大抵は把握していた話題だったが詳しくないものもありnutritionismへの問題提起についてが特にあたる.
いやベースブレッドなども買っているし食事に面白味を見出さずタブレット1つで一切を替えられないかと思っているのだから当事者でもあるのだが具体的な問題意識の言語化に至っていなかった.(私に苦痛でしかない)食事は心を豊かにするらしくこれは(大変なお気に入りの)四季と同じようなものであり尊重する方が良いのだろう程度にしか思っていなかった.また海外のメニューの表記なんてのも意識しておらず実際のところ私が以前にシアトルに行った頃はそこまででは無かったし体験がアップデートできていなかったからだろう.
こういうことがあるとかなり悔しく思いよりもっと人生に誠実にあろうなんて思うが同時に怠けることこそが人生であり私に誠実なのではないかと葛藤し一日を終えることも多い.
しかし彼の言う通りで日本は西洋化した空間の中でうまくやっているというのは(これに限らず)確かに思うが鎖国の頃からの名残だろうか(もっと昔の邪馬台国の頃から外国との関係は達者だったのかもしれないが歴史には造形が無いもので).
「ひとつ」についてのuniを西洋的と onenessを非西洋的であるとした時は流石に驚いた.今回の講義で最も素晴らしい主張だったように思える.後ろにどのような理論があるのかは知らないが onenessに感じる暖かい橙色とuniにみる硬くも透明な青い緑の差は西洋的か否かを分するに甚だ寄与しているように思え極めて直感的で納得感のある主張だった.この私の共感覚に迎合する主張をやけに高く評価する悪癖は直すべきなのだろうが見える世界を肯定されては堪らないものだ.ここで使われている仙厓義梵(教科書では仙義梵との誤字)についてだが去年や今年の頭に色々と展覧会が行われていたように記憶しており機会を逃してしまい少々後悔している.
全体を通してとても勉強している方による極めて優しい講義だったなとの印象を受けた(しこれがファスト教養的に感じるのだろう).色々と指摘したい部分も多いがこの内容をたった3時間に納めるのは偉く細かい点を拾っていては倍は下らない.また人文科学から社会科学から自然科学まで色々と跨いで話しをしているわけでここまで幅広く知識を蓄えアウトプットし取り沙汰されるべき間違いが無いというのは尊敬せざるを得ない.また教科書は綺麗なデザインでありながら文献がきちんとありわかりやすい(それにしてもこの装丁で3000円は恐ろしい).知らないトピックには興味が沸いたし知っていたものには反論する点を探せて極めて楽しい講義だった.
講義だった?
「今の学生は授業中に声をあげることもない」と書いたがではいつ抗議するかと言えば講義後の休憩時間である.(納得できない点を言い合いに行き大概は負けるのであるが)この時間が設けられていなかったのは講義としての側面が弱いということの表しのように思える.また受講生について色々というのも良くないが歌が終わった時や講義の最後に拍手をするのはどうなのだろうか.講義なんて先生と敵対こそすれ称賛の拍手なんて……などと困惑すると同時にアーティストが講義をやるとはこういうことなのだろうとも思ってはいたので溜飲も下げられる部分も(諦念による解決には適さないなんてのは直感するが辞書を引けば別に問題はないように思え)また.
教科書を見返して特に気になった点を書こうかな.
画像について(カメラを代表する)入力においては色域や色の分解能を取り上げるが(モニターを筆頭に)出力では解像度ばかりを推してきている,という話があったがEIZOなどは10bitモニターを売りにしている.また昔はQuadroでしか出来なかった10bpcの設定がGeForceでもできるようになるなど色については表示の部分でもかなり気を使われている傾向にある.(ここからは完全に趣味の話だが)ペンタイル方式などの存在も人間の色域を考慮しつつコスト低下に一躍買っておりどうにも出力で色についておざなりになっているとは思えない.とはいえ最近だとQuest 3が有機ELではなく液晶だったというのは大変残念に思うが(小沢さんもVRの後に現実を観ると鮮やかだと言っていたが全くその通り).
匂いのデジタル化について色々と話し教科書には東工大が紹介されているが味覚にも進展がみえ明治大学の研究にも注目していく必要があると思う.個人的には(技術の面で)味覚のほうが先に実用化に漕ぎ着けるように思うがVRやら映画やらでの実用を考えると需要は嗅覚にあるだろうなとも思う.また触覚については電通大がかなり熱くこれも期待.
なんか他にも気になった記憶はあるが何だったかは覚えていないのでこの辺で.
せっかくだからと受講者用のDiscordでも参加したが空気感が苦手だったために少しずつみている.
一方でかなり自分語りを含めて長文をカキコしている方もおり,それは随分と好みでオアシスたり得ている.
夜更けにパーフェクトブルーのオンラインチケットを購入した.今敏の作品は国語の授業でパプリカを観て以来だろうか.
この授業を取り仕切った先生は若くして博士を取った新進気鋭な偉い哲学者で私の最も好いていた教師だった.
随分と変わった方で授業は大変楽しく,期末試験の自由作文で満点を頂いたのは良い思い出だ.
さて私に意識が確立する前に今敏は亡くなってしまい夢みる機械の制作の引き継ぎも虚しく終ぞ映画館で作品を観ることは叶わないと思っていたところの吉報であり一目散に観ようと思ったのだがいかんせん時間が合わずに一週間ほど機を伺った末にやっとチケットを購入できたわけだ.
いやはや楽しみで仕方がなく平沢進の曲でも聴きながら待とうかと思うがそういえば平沢進は今敏を知る前から知っていたなと記憶を辿るも何も浮かばずけれどもニコニコに延々と齧り付く少年期を送っていたのだからどこかで触れたのだろう.
こういう事が多々あり学校にも行かずにパソコンばかりをみていたあの頃を肯定しているわけだがこれは今がなんとかなっているからであり浪人やらと躓いていれば過去を責めていたのだろうと思うと結果論の都合の良さと専ら運だけは良い私を好んでならないがそれは社会的な失敗を人生の失敗にいれているあたりは嫌いでどうにも難しいなと感じる.
そんなことを思っていると早々に当日となり映画館に至る.
客層としては中高年男性2割若年男性3割若年女性5割というところだろうか.
地雷系からパンク系まで様々な服装の女性客が目立ちにゃるらの台頭(NEEDY GIRL OVERDOSEの成功)以降のサブカルという感覚がしたのだが実態はわからない.
このような機に於いては以前なら色々と言うところだがウがライターとして一歩を踏み出したり
あにもにが誠実さで受け入れられている現状を以て私が色々と言っても仕方がないのであるから口を噤もうと思う(当初はこれに絡む初鹿野ことなに送られたマシュマロにまで触れる気でいたが最近は専ら上記のような具合でそういった気概もあらないわけだ).
さて肝心の映画であるがテンポが良く内容も納得しやすかった.
特にテンポについての寄与は全くシーンチェンジが最たるものでシーンの長さが何よりも上手で呼吸のタイミングや集中力の起伏をきれいに管理しているのだろうなと観ていて驚いた.
君の名は。以後のアニメ映画は興行収入の面で目立ちインターネットに於いても話題になるわけで私も色々と観ていたがここまで適当なシーンチェンジは無いと言えよう.
また最終的には納得させるエンドを用意しており内容を把握して帰る事ができるのは大層親切で(今なら15+では済まないような描写を除けば)広く受け入れられる可能性のある作品だなと思う.
一方で理解するのは難しくそもそも精神の異常を理解でき(てから十分な時間が経過し)たら刑法には責任能力なんて概念は存在し得ないのだろうから難しくて当然であり何らかの答えを出すことに意味を感じないわけ.
また理解から遠ざかる近因でもあるが現実描写を曖昧にするにつれオタクへの信頼(卯月コウが由比ヶ浜結衣が自動販売機にてドリンクを選ぶ際に温度で迷うシーンより拝借し説明描写の細かさの逆数に近い概念だろう)が高まるというのは観ていてかなりワクワクした.
先ず魚の死亡に際し涙するわけだがそこで撮影における後悔を口にするのを観て正直かなり残念に思えたがその後はどんどん説明描写を削り最後にガラス越しにマネージャーを映すという構成は納得と不理解の両立に大きく寄与していると気付き当初の落胆も自らの無知蒙昧さを引き立てる.
序盤のモブオタクの説明とかも微妙だなとか思いつつえーっ!今来たばっかり!!で口角が上がったり(すると同時に90年代には存在していたのかと感心したり)と総合点がなんだかんだ高かったように思い出す.
アニメーション的には幻覚の霧越未麻の恐怖を引き立てる軽やかな足取り特に街灯スキップが相当に好きでGIFのミームに成り得るポテンシャルがあるようにさえ思える.
それと幻覚の霧越未麻が最初(だったかな)に現れるシーンにて雨森小夜の配信で聞き馴染んだ台詞が飛び出してきて笑いそうになってしまった.好きな配信者の発言というのは脳裏にこびりついているものなのだろう.
映画を見終え(来場者特典が終わっており落胆しつつも)外に出ると空腹を覚えてスマートフォンの地図アプリに頼れば木場公園があるというのだからコンビニでサンドウィッチとおにぎりを頂き足を伸ばす.
公園では芝生に座りラップトップへ向かう女性,ボールを蹴り合う男子大学生,ハンドボールで遊ぶ子供ら,散歩をする老人,ジョギングをする中年,犬の散歩をする女性と相当に私の好みの様相で何とも出来すぎているななんて思いサンドウィッチの封を切れば人工的な公園にて工場で作られたサンドウィッチを自然を感じながら食べるというのはなんとも冒涜的だなと思うわけだ.
それでもそこで感じた秋風は頭上を飛び交う鳩たちは向こうのビルを隠すように立つ木は確かであるのだから気分も上々に昼食を摂り満足して帰宅する.
東海村で数日を過ごしたわけだが,これまで単身での外泊は1泊しかしたことが無かったため今回は色々と新しいことが多かった.洗濯と食事を独りで解決しないといけないのが最たる例で,親やホストファミリーのありがたみが身に染みる.
加えて一人暮らしで健康的な時間に寝ている人を尊敬せざるを得なくなった.夜とか23時をまわらないとお腹は空かないし風呂なんて2時を過ぎないと入る気がしない.
地域としては想像以上に田舎という印象かな.街頭もあるのだが頻度が郊外とはまったくもって違うし畑が多いのでかなり暗い場所があり,そこから見上げる月の美しさは昔に秩父でキャンプをした頃を思い出す.しかしスーパームーンだったらしくほんのりと優しい明るさを感じて幸せでもあった.畑の奥の山から覗く月をみていると郊外に住み日中は都会にいる生活の一切は虚構だったのではないかとさえ思えた.
引っ越しの予定がじりじりと迫っていて,さっさと私を鬱屈とした量産された住宅地から連れ去ってくれないかななんて期待している.引っ越し先は空襲の被害も受けていない地域で観光地でもあるし,かなり好きな街並みで更に山がみえ自然も豊かで楽しみで仕方がない.それで物足りなくなったら東京に戻ろうかな.その頃には都心の郊外化が完了していそうだけれど.
ファミリーレストランに初めて行った.週末に行ったのだが家族で食事をする人が何組かいて驚く.中学生の頃に初めてファーストフードを食べた記憶が蘇る.牛丼屋にも初めて行った.そこにいる男性の髪型や服装が都会では中々みないもので迫力を感じる.
地震が数回あったのだが家にいた頃とは危機感が雲泥の差だった.私の家は地盤が硬いところにあったり川や海が側になかったり戸建てだったりと地震に強かったため多少揺れてもTwitterを開いて楽しむくらいだったが,やはり原子炉が近くにあるとなると話が変わってくる.なんなら施設内にいたときに揺れたこともあったのだからそれはそれはヒヤヒヤした.
この辺に住んでいる人はすごいな.いやしかしそれを承知で住んでいるはずなわけだ.それなら原子力施設への反対の看板を掲げるのはどうなのだろうか.
原子力科学館にも行った.専門が原子力ではないので新しく知ったことも多く楽しめた.ただ「この展示は調整中です」だとか「この展示は終了しました」という紙が結構な量を貼られていて残念だった.特に子供が喜ぶであろう視覚的に楽しい動く展示が多く該当していて教育効果としてはいまいちになっていそうに思えた.国立博物館のクラウドファンディングのような大きなものは目に止まるが地方の科学館の状況などは把握しにくいものだ.展示内容についてはJOC臨界事故とかが面白かったくらいで後は割と普通の科学館という感じだった.ウランガラスとか放射光照射して色の変わったグラスとかをみられたのはうれしかったけれど.
好文亭にも行った.襖と欄間で繋がった絵は慣れ親しんだ襖と迫力が違った.なんだか4dxの映画にある価値とはこういうものなのではないかと感じ,近いうちに観にいく決意を新たにした.あと畳と板張りの部屋を挟んで花頭窓(もちろん通れるわけでガラスなどはない)が設置されていて驚いた.かなり趣の違う部屋であったし空気感を変えるための仕組みだったのだろうか.ただ高さが異様に低く1500mm程度しかあらず驚く.3階なんて全体的に屋根が低く暮らしにくて仕方がないのではと感じたが昔の人は総じて背も低いだろうし構わないのだろうか.
帰りは当然のように東海駅を利用するわけだが本数が少なく待合室で時間を潰していると中学生が大勢みえる正午前,制服だからこそ中学生とわかるわけだが恐らく東海中学の方々でとすれば帰り道だろうか.夏休みが終わってから数日は午前で終わりみたいな仕組みなのかもしれない.いやしかし最近は変な時間に中高生を見ることが少なからずある.品川の方にいた頃も10時とか14時とかの明らかに授業中に思える頃に毎日のように品川女子のカーキの制服をみていた.思えばコロナ以降にこの傾向は強くなったように思う.柔軟になることは良いことで生徒や学生は自由に時間の使途を選べるようにある世界が好きだな思う.いや社会人でもそのようにあってほしいがこれは理想が過ぎて非現実的なわけだ.
内陸に帰ってみると相変わらず暑くて驚いた.地震や津波のリスクしかない湾岸に住む人々をリスクリターンを考えられない人とレッテルを貼っていたのが情けない.両方を体験してみると確かにいつ起こるかわからない地震よりも心地よい海風を取る人が少なからずいても理解できる.
移動距離に経験値が比例するといった眉唾な自己啓発的な主張も否定はできないのかもななんて思えるようになった.しかし比例はせずに何らかの位置に漸近しそうに思える.
Firefoxに慣れてしまってはアドレスバーの横にブックマークを並べられないブラウザを使うことができなくなってしまう.タブバーとツールバーで結構な高さを取るのにブックマークバーを表示しては目障りで仕方がない.
しかし「NHKプラス」が「Firefox」のサポートを“完全”終了へ ~ 5月23日より視聴不可能にからもわかるように最近はFirefoxのサポートを終えているサイトも少なくない.私にとっての問題はnoteの記事作成画面においてmarkdown形式でペーストしてもFirefoxではnote形式に展開されないというものだった.
FirefoxからChromiumブラウザへの乗り換えで散見されたVivaldiを選んでみたが,標準のカスタマイズ機能ではツールバーにブックマークを置けないようなのでカスタムcssファイルを作成した.
https://gist.github.com/slnq/5b77b333d26a07409104694c2b22fef7
Vivaldiではアドレスバーなどが含まれるmainbar,bookmark-bar,サイトを表示するinnerがmainというflexコンテナに入っている.この辺のことはGuide: Customizing Vivaldi’s UI with CSS modsを参考にするとわかりよい.
当初はmainbarとbookmark-barを2重のflexコンテナに入れることを考えたが,カスタムjsファイルを読み込む為のbrowser.htmlがアップデートの度に初期化されるらしくcssのみでの実装を考えた.結果としては以下のようになった(全文はvivaldi.cssに書いておく).
#main {
flex-direction: row-reverse;
flex-wrap: wrap;
}
.inner {
flex-basis: 100% !important;
}
このコードの中でもflex-directionやwrapはすぐに思いつくのだが,それだけではうまくいかず色々と試した末にflex-basis: 100% !important;
が肝要であるとわかった.
一応これでブックマークバーとツールバーを並べることには成功したが,Firefoxではツールバーにブックマークを展開していたわけで,見た目は一緒だが構造は違うよなと少しもどかしい.
userChrome.cssでは右クリックしたときのメニューの要素を大量に隠しているのでわかりにくくなっているが,基本的にはタブバーを低くしたり,ページ内検索を上に移し背景を設定している.
userContent.cssでは新規タブの背景画像を設定したり,TweetDeckの新しいバージョンへの以降を促すリンクを消したり,YouTubeのヘッダーを透過させたりしている.これもVivaldiで使いたいのだが拡張機能を使わないといけないようで二の足を踏んでいる.
取り敢えずブラウザへ求める要素のうち最も大事なブックマークをアドレスバーの横への配置をChromiumベースのブラウザで実装できてよかった.610億円を払って「Firefox」を延命するGoogleのズル賢さからもわかるようにFirefoxが無くなることはないだろうが,今後も肩身は狭いだろう.Vivaldi以外の候補としてはSleipnirとFloorpがあったが日本発のものは情報が少ないことが往々にしてあるため避けがちである.
取り敢えずPCのブラウザ環境には満足したので後はAppleによる携帯端末のWebKit強制の終了を待つのみ.
モニターから左下に目を遣ると空気清浄機がみえる.自意識過剰で自身への理想が強い私がこれを買えたのは奇跡に近い.
鼻炎が在るので空気清浄機を買おうかと思っていますが空気清浄機を持っている自分が私で無いように感じて躊躇しています
youtubeの配信で初見ですとかをカキコ出来ないのと同じ心情です
助けてもらえますか?
(今ならもう少し美しく書けるのになんて感じる文章なわけだが,)このマシュマロへの彼女の返答は
と極めて私好みだった.買うに至ったは助言に従い宮田くれあの日常を想像し憧れたが故で鼻炎も多少はよくなり感謝してもしきれない.
7月末は小沢健二 東大900番講堂講義の出席可否のメールが来ないなと悶々としていた.
31日の16時頃にはTwitterで出席を認めるメールが届いたと言っている人がおり,あぁ私は落ちたのだな,人生に於いて落ちるという経験は初めてだなと思い陰鬱な日々の幕開けを思わせた.しかし,その数時間後には参加を認めるメールが届き本当に嬉しかったし浮足立っていた数日間.
初鹿野ことなによる活動の終了を明言するツイートが投稿されるまでは.
中学の途中から不登校になり普通の高校へ進学できず,おかしな機関で変な生活を送っている中,周りの目に怯えながら平日の昼間に通学路で座り込んだ中学時代を崇高なものとし,この退屈な毎日を卑下していた.
そんな頃にVTuberというものが出てきてニコニコしかみていなかった日常に別れを告げるなどしたが,やはり衝撃的なのは卯月コウの登場だろう.2018年の彼は本当に凄まじく心地よくて仕方がなかった.彼のお陰で私は一切の勉強と決別し授業中は常にイヤホンで彼のアーカイブを聞いていた.家に帰っては彼のアーカイブを複窓で流す.寝不足は思考力を奪い彼への信仰を深めてくれた.気持ちよくて幸せで,今振り返っても今後味わえることのない至高の体験だった.それでもApexを始めたりすると彼への執着は徐々に薄れていったのだから盲信というわけでもなかった.
こうして彼とは距離をおいてから約1年,私の時間を奪い続けるYouTubeは最適解でも見つけたのか初鹿野ことなを勧めてきた.
この頃になると機関の授業も減り家にいる時間が増え,延々と初鹿野ことなを観続ける日々が始まった.それでも思春期を過ぎたからか2018年ほど入れ込むことは出来ずに,しかし時間を彼女に捧げ続けていた.これはこれでまた幸せな期間だった.
機関を卒業し大学へ入り学部も終わりの今年だが結局,彼女の次の杖が見つかっていない.そもそも卯月コウに変わる存在を見繕えたことが奇跡なのだ.
彼女が消えて私はどうしたら良いのだろうか.
そういえばこんなマシュマロも送っていた.
情けない先輩を詰る後輩botもbotたる更新が潰え今となっては手動で不定期に呟かれている.
少し温度感が変わっているように感じるが,それもまた嫌いではない.
卯月コウは変わり,Twitterも終わり,初鹿野ことなも活動を終えたり転職をしている.
そんな中で私は何も変わっていない.相変わらず昔の私を好んでは今を否定し続けている.
真摯にインターネットへ向き合い誠実なツイートを心がける以上に世界に私を捉えさせる術は無いのだろうから正直な思いを言えば初鹿野ことなが初鹿野ことなを終わらすのは私にとって満足なことであろう.
というマシュマロへの回答を聞いていて,あゝ彼女は特別であるのだと再認識させられた.それと同時に彼女が特別で無くなってから初めて彼女のことを知ることができるのだろうと感じた.
私には彼女と会う手段なんてものは無いし,何よりも人と対面することを嫌うのだから彼女を知ることなんて出来ないが,彼女が活動を続けているよりはまだ可能性はある.
初鹿野ことなでインターネットを最後にすると言った彼女であるが,その点では楽観視しても良いだろう.
こうして言葉を弄して自らの感情を鎮めようとする理性的な側面が嫌いで仕方がない.
最後に何らかの言葉を伝えたいなとダイレクトメッセージを開いたところ
あなたは認証されていないため、このユーザーにはメッセージを送信できません。詳細はこちら
との文字を目にしじわっと涙が湧き出るのを感じた.
いつもこうだ.本当にやりたかったことのすべてが手遅れだ.
伊織ユキも尊敬していた.機関とぼかしていたが出自が近いんだ.学祭でVTuberのようなことをしてから興味があったと語った彼の配信を聞きながら心底みずからが情けなかった.
綺麗なストーリーを描ける彼を,それにあまりにも適合する彼女のコンビネーションを羨んでいた.
私の人生を私は常に肯定していて特に過去にいくほど肯定が強まる.そうでもしなくては壊れてしまうのだろう.私の人生は常に羨望を嫉妬を孕んでいて,それに気づかないように幸せであるとしなくてはならない.
確かに私は一切の落第をしたことがない.それもそうで常にリスクを避けているからで,その結果が至福でないなら空虚なのではないだろうか.それでもそれには生きる指針を常に残すなんていう(社会的に)良い側面もあって,これに縋っていたわけだが,意味が無ければ指針に価値など無い.
有意味な人生を幸福な生としたヴィトゲンシュタインに頷いていた日々なんてのも動転する気の前では何のバッファーストップにも成り得ない.
これからをどう生きれば良いのだろうか,なんて書いた日には終わりなんだ.無慈悲にも日常は続く.私は死ぬことが無い.せめて正直ではありたい.
これからの生き方なんてのは決まっている.これまでの賢い私が敷いたレールに乗るだけで,多少の起伏を楽しんで生きる.これに変更はないだろう.私には勇気もないのだから.
彼女が楽しんだアイドルのライブにでも行ってみようと思う.
外出は嫌いだが来年から東京を離れてしまうのだし良い機会だ.
彼女の遺したものを少しづつでもかき集めていないと永遠に忘れるように思ってしまう.
東京都庭園美術館に行きグラスアートを観た.
この美術館に訪れること自体が初めてだったからか展示物よりも展示方法に衝撃を受けた.
いや少しでも調べたら以前は皇族が住んでいた家だったとわかったのだろうが,今回については何も情報を入れなかったことが功を奏したように思える.
観覧の中でどうにも頭にこびりついて離れなかったのが浴室だった.そこにはタピオ・ヴィルッカラのプリマヴェーラという火を感じる作品が置かれていたのだが,それ以上に美しく硬くも温かい水回りに驚いた.緑まじりの壁の上部を白くして圧迫感を解消したり,角を中心にした放射状の模様を描く石を浴室に使ったり,浴槽の3方を壁から離したり,現在ではみない曲線の便座だったり,すりガラスでなかったら入浴しながら青空を仰ぎ見られるのかなとか思ったり.
現代の日本でトイレと風呂が一緒になっていると嫌がられるわけだが,問題は一緒になっていることではなく狭いことだろう(家自体が狭いから仕方なく一緒にしているのだから,この議論は仕方がないのかもしれないが).
東京都庭園美術館の美術館の部分をすべて新館に託していて,新館への連絡通路を通って初めて美術館を感じた.新館には入ると売店と広い展示スペースがありいかにもな美術館なのだが,本館は皇族の邸だっただけあって博物館の様相なわけだ.そんなことを思いながら中庭の横の連絡通路を歩いていると私の方にカラスが飛んできた.目黒のカラスはなんだか艷やかに見えた.
かなり影に気を使って照明が設置されており,薄く色彩豊かなガラスが綺麗で印象的だった.カイ・フランクのアートグラス、ユニークピースなどはわかりやすいだろう.
ただ一部分かなり上から光を当てていて影が見にくい展示があったのが残念だった.グンネル・ニューマンのボウルという気泡がたくさん入った薄い緑の皿は外に広がるに連れて透明度がマシているが,光を真上から当てているため,濃い緑の部分の影がみられない.影が主体の展示ではないのだろうからこの指摘もどうかとは思うが.
作品名のメモを忘れていたが,Tapio Wirkkala dobble vaseで検索をすると似たものがたくさん出てくる.この作品がかなり好きだ.何が良いとかでは無くて単純接触効果なのだとは思うが.pz軌道の図にも思えるし重力や電磁気力のシミュレーションでもみたことがある気がする.好きなのだが,展示ではガラス棚に入れられていて上からみられないのが少し残念だった.画像検索の結果をみてもやはり口の方からもみてみたいなと感じるわけだ.
かなり衝撃的だった.これまで綺麗な曲線に透き通るガラスをみていたのに,いきなりガチガチな金網で拘束されたものがでてきたのだから.この画像に話したいことの殆どが詰まっている.まず真ん中の白い作品を観ては面白みが無いなと感じたわけだが,左の作品で金網の価値に少しだけ気づくことができた.ガラスの曲線美と金網の直線的な側面,もしくは非晶質たる乱雑さと格子状の規則正しさの対比は純粋に面白い.何か皮肉を込めているとか何らかの体制を批判しているとかも思ったが,多分そうでもなくて単純に面白くて美しくて行っているような気がした(真意はわからないが).さて最も好きだったのは右の青い作品で,この写真からはわからないが影が良かった.恐らく金網をつけてからガラスを膨らませて,その後に金網を取ったのだろうと思うが,おかげで透明なガラスに格子模様がついている.その模様と造形の曲線のにより色数を少なくしつつもグラデーションを表現するドット絵のようにみえるわけだ.(そういえばドット絵でガラスを表現している@16pxlの作品も好きだったな.)こういう現実に潜む離散的なものをみると嬉しくなってしまう.
いいものを観られたなと高揚したまま庭園を一周して帰る.目黒の街並みは綺麗で歩いている人たちにもどことなく余裕があり心地よく駅まで歩いた.そんな上機嫌のまま駅に入ると当然の満員電車で余韻もなにもなくなってしまった.東京と地方で文化資本の差が...という意見にも賛同するが,満員電車に乗った時点で私への文化の浸透は初期化されるんじゃないかとさえ思ってしまう.
しかもそんな車内で大学生が「落単した!」と会話していたのも少し嫌だった.最初は「落胆した!」かなと思い久米田康治的な人だななんて破顔しつつあったが会話を盗み聞くうちに単位を落としたとわかり,私が落胆した.つまらない会話に耐えてよく頑張った.
ARu子がアキネーターを「ずっと同じ高度でバズっている」と称していたがMBTI診断も似たようなものだろう.ずっと前からTwitterで流れてくるたびに診断してみては2つの結果を反復横跳びしている.
さて診断においては結果の解説とともに,その性格にあたる有名人が列挙される.
例として論理学者(INTP-A/-T)をみてみると
などがあげられている.
ビル・ゲイツが成したことも,ローレンツ変換の導出も,古典力学も,私は知っている.
それは運良く物理に多少明るかったからであるが,音楽や実写映画に明るくないため,上の人物の中でも俳優や音楽家については聞いたことがある程度だ.
しかし物理学を学んだことがあっても科学史に詳しいわけではない.せいぜい私が知るはアインシュタインが写真を撮られるのを嫌っただとか,おジャ魔女ドレミを踊っているのはビル・ゲイツ本人ではないとか,そのくらいだ.
せっかく当てはまる性格の著名人を列挙してくれたところ申し訳ないが,私には人選から見て取れることがなにもないのである.
昨日月ノ美兎によってMBTI診断に関する動画が出された.内容としては
というものだった.動画のつくりが随分と上手だな.タイトルを「MBTI診断で相性最悪の人と話してみよう!!」とし,にじさんじを知らなくても見やすいところに本題を置き,副題たる列挙を楽しめるようになるには各人の配信を見る必要がある,という形になっている.自分と同じタイプの人を観ようといったきっかけを作るという面でも良い形だろう.
全13問!にじさんじライバー部屋当てクイズ大会を開催しますに書き込まれた
数日前、委員長しか知らない椎名さん分からない状態でこの動画見てふーんって感じだったんだけど、にじさんじハマって知ってるライバー増えてから見返すとまた面白い
というコメントを思い出す.彼女の動画による活動でにじさんじ自体に新しく興味をもつ人が増えているのは(体感であるが)間違いないだろう.自らの立場をよく理解して行動しているように思えるが診断では「重圧で押しつぶされそうだと、よく感じる。」に対して
と言っていたのが意外だ.診断の信憑性か他認の誤解かなどと考えながら楽しく動画を観た.
初見時はそんなことを思っただけだったのだが翌日の電車に揺られながらTwitterにて流れてきた,にじさんじメンバーのMBTI診断結果のスクリーンショットをみて少し驚いた.
診断結果の4文字の英単語に色がついていて,私がこれまでみていた無機質な英字とは全く違っていた.
共感覚なんて大層なものでは無いが単語を理解できると色が手触りが重さが与えられる.
にじさんじを観始めて5年は経つわけで,その間にプロファイルを把握し診断結果として分けられることで傾向が掴めたのだろう.性格診断なんて眉唾だと思っていたが,こう腑に落ちる思いをするとなるほど重宝する者がいるのにも納得がいく(とはいえ信頼できるものでも無いが).
そんな事を嬉々として思っていると同時に,知識とは何たるかをこんな些細なことで味わい情けなく思う.
確かに様々な分野に博識な人間にはこのように(いや,より広い分野で人選されていたぶん,より鮮やかに)みえていたのだろう.
幅広い分野の知識をもつことが人生の豊かさへの寄与において肝要であるとは思っていたが,実際に味わうと相当なものだろうと感じる.その機会がインターネットコンテンツなのは軽薄な人間に思えて少しばかり自らに失望したり,大好きなインターネットに気づかせてもらえて嬉しかったりと複雑なのだが.
14時とかの映画館に社会不適合面をして観に行くのが最も美しかったのだろうが生憎にも外せない用事があり17時頃に開場の回を観た.
いかにも我大学生であるぞと訴えかける風貌のものが多く嫌悪感を覚えたがスーツを着たものがみられないのは気分が良かった.
見漁るまでもなくTwitterなどで流れてきた感想は宮崎駿を主人公に投影するものが多かったが,私は映画を観に行ったのであり映画を通して何らかの人物を観に行ったのではないのだから映画の感想を書こうと思う.
引っ越した先で貧乏な周りの生徒とは違う主人公はいじめられる訳だが帰路において自傷をしそのまま帰宅することで父親を大層心配させようとする.
工場を運営している父は金銭的にも地位的にも学校なんてものよりも上にあるようで即刻文句を言いに行くわけだが,主人公は学校に報告するように父親に頼むようなこともせず寡黙であり続ける.
感情移入に向いていない作品であったが序盤のこの頃は理解しておらず主人公に感情移入していた(もしくは主人公を純情なものと捉えていた)私は「いじめられたという事実を忘れないための自傷」であり父親に何も言わないのも「無為な心配をさせないため」の子供ながらの考えだと思っていた.
最終的に他者による世界の維持を受け継ぐか問われたときに自傷を悪意とし断ったことから「いじめの被害をかさ増しするための自傷」であったとわかるわけだが,この頃になると主人公の性格などもみえ納得できる.
しかし未だ残る疑問は悪意の内容であろう.いじめの被害をかさ増ししたという事実が悪意によるとしても,その悪意の内容はまた様々になる.
映画を観ていたときは「かさ増しをするという嘘をついたこと」と「他者の社会的権力に頼ったこと」の2つの候補が思いついていたが,後に考えてみると他者が築いた(もしくは維持した)世界を壊すことを選んだ主人公なのだから後者があたるように思える.
向こうの世界の記憶が保たれた理由が(主人公由来のものでは無いと)完全に明かされ,どうせ子供だからすぐに忘れる,との大人のポジションのキャラクターによる発言はかなり印象的だ.
子供の頃の記憶というのは得てして混濁していて,私にも印象的な夢だったのか素晴らしき体験だったのかはっきりしない記憶が残っている.
それでもジブリの映画という子供が多く観る映画(という特別な体験になりやすい形式)で夢か現か幻かわからないシーンを差し込み世界を移動しキャッチーな殺人をするキャラクターを登場させておいて,この発言だ.
人格形成期に大人による純粋な侮慢の存在に気づく者は多くなく,少数派の彼らはどうにも生きにくい人生を送っているように感じているわけだが,映画にて言及されるというのは多数の者を恰も少数であるとの認知を抱かせ,少数の者には多数であると失望させるように感じてならない.
本の虫が最終的に世界を見守る立場になるというのは道理のように感じるわけだが,世界の維持を血縁者に託すにおいて対象者の自由意志を重視することはあるのだろうか.
横槍が入り世界が崩壊を辿り,緊急の場において大叔父は再婚者を連れて逃げるように主人公へ言うわけだが,世界が崩壊し始めなかったらどうなっていたのかは気になるところだ.
自分の維持しない世界に興味が無いのであればオウムの独裁者にでも引き継げば良いのだろうが血縁者に拘るというのは,これについては宮崎駿に繋がる話しか出来ないように感じるので略.
と気持ち悪い点は多かった.もっとも気味が悪いのはこの父親を(理解したうえで)受け入れている主人公だろうが.
受け入れてはおらず家族を大事にするが故に父親が好きという理由で再婚者を取り戻そうと動いたとも考えられるが,いじめへの対応をみると受け入れているとするのが道理のように思える.
原作を読んでいないのだが,どうやらエリートの生き方に関するようで,父親の地位を使うというのが冷静で合理的とされているのならば忠実で良いのだろう(ペリカンを赤子になる魂と共に焼いた時に長期的には赤子になる魂に有利なのに短期的な損得をみて批判するあたり主人公が合理的なつくりになっているとは思えないが).
このあたりは原作を読んでみないとなんとも言えないが,どうにも私には「子供は純情で認知能力が低い」状態にあって欲しいきらいがあるために歪んだ感想になっているようにも思える.
他者の世界に生きないだとか友達と共にあるだとか説明的で生き方について色々と説法を説いてきたわけだが,私としては若かりし頃の母親が火事で死ぬことをわかった上で現実世界へ(火は得意だからと主人公を安心させながら)戻ったことが全てだったなと感じる.
セカイ系の流行りは0年代から飛び出し君の名は。で大衆的になったわけだが,その一方で「私は私の人生を生きる他に無い」と提示してきたように思えた.
合成の為に秤量をするのだが,その計算を行うソフトウェアがWindowsにしか対応しておらず不便でならない.
WEBで実装することでOSに依らず使えるようにしようという算段だ.
https://gist-4d0c6.web.app/hyoryo.html
https://gist.github.com/slnq/65ec66de4d338ec9e1ae35a1fbd7d314
ほとんどをChatGPTに書いてもらった.
とはいえ関数ごとに書いてもらったので,同じ処理を別の関数に分けている部分などは設計も碌にせずに書き始めた私のせいだ.
target | : | 合成したい試料の化学式 |
---|---|---|
reagents | : | 合成に用いる試薬の化学式 |
targets mass | : | 合成したい試料の重さ [g] |
x | : | xを定義する |
y | : | yを定義する |
decimals | : | 表示する小数点以下の桁数 |
合成したい試料の化学式を書く.
複数の化学式を書きたい場合はLaOBiSSe, LaOBiS1.4Se0.6
のように,カンマ区切りで書く.
置換したい要素が1つある場合はLaOBiS2-xSex
のように,変数xを用いて書く.
置換したい要素が2つある場合はLaO1-xFxBiS2-ySey
のように,変数x, yを用いて書く.
合成に使いたい試薬の化学式を書く.
まず2つ以上になるだろうからBi. S, La2S3, La2O3, LaF3, Bi2Se3
のようにカンマ区切りで書く.
targetで変数xを使う場合のxの定義を書く.
x_min, x_max, x_step
x1, x2, x3, ...
1つ目のようにfor文のような書き方と2つ目のように列記する書き方のどちらも出来る.
例として0から1まで0.2ずつ変化させたい場合は
0, 1, 0.2
0, 0.2, 0.4, 0.6, 0.8, 1.0
と書く.
targetで変数を2つ使う場合は,yの定義をxのときと同様に書く.
小数点以下を何桁表示するか選べる.
空白だったり0を入力した場合はJavaScriptのnumber型の仕様で17桁が表示され邪魔になるだろうから,使う秤に合わせた数値を入力するといい.
以上のフォームの入力によってURLを動的に変更し,そのURLでフォームに自動入力できるようにした.
また,URLを開いた時に自動的にフォームを送信し,結果を表示できるようにした.
すべてをChatGPTが書いてくれた.
行ヘッダーにtargetが,列ヘッダーにregentsが表示され,表の中が計算した重さになる.
変数なしの表を表示する例
行ヘッダーにxを代入したtargetが,列ヘッダーにregentsが表示され,表の中が計算した重さになる.
1変数の表を表示する例
行ヘッダーにxが,列ヘッダーにyが表示される.その表の中にx, yを代入したtargetをヘッダーにもち,regentsを列ヘッダーにもつ表が表示される.
2変数の表を表示する例
だいたいをChatGPTに書いてもらったので達成感などは無い.
それが故に値があっているのか心配で,元からあるソフトの結果と見比べながら使っている.
AIは出力を保証してくれない.
GitHubのContributionが埋まっている人はかっこいいが,コンスタントにプログラムを書くわけでも無いので真似もできない.代わりにツイートで実装すれば良いのではと思い作り始めた.
GitHub Contributions Chartを参考にJavaScriptで実装し,あとはTwitterからツイートを取得するのみに迫った頃,Twitter APIの実質的な終了が言い渡され全てが泡沫の如く消えた.
読書記録などにしようか,いや普通の読書記録アプリさえも続かないのに,などと2ヶ月程度考えた末に当ブログの更新記録にしてみるかと考え,Zolaでの実装を始めた.
JavaScriptの方についてはDOM操作に慣れている人はGitHub Contributions Chartをそのまま置き換えただけだとわかると思う.更新した瞬間にDOM操作が行われるため画面が乱れるという欠点がある.
Zolaの方については関数としてmacroを使っているが,配列を出力出来ないため,カンマ区切りの文字列を介して返している.また,条件文に括弧を使えないため他の言語なら1つのif文で書けるものもTeraでは2重で書くしかない.以上を抑えておけばmacros.htmlを読んで理解できると思う.
デザインについてはJavaScriptの方はGitHubのものをそのまま,Zolaの方は当ブログに合う感じにした.色の濃度が無いのは1日に1記事より多く更新するとは思えないため.
getWeek()で月が何週間あるかを計算しcolspanで間隔を空ける.
get_date_on_weekday()で1年間の全てのn曜日を取得している.
HTMLのtableが列で構成できたらもっと楽だったはずなのですが.
JavaScriptではDate()が便利で必要が無いが,Teraには無いので,last_day()で計算している.
Teraを書くのが大変だった.とはいえ言語の目的に適していないことを行っているのだから当然ではある.
せっかくブログ更新のContributionを作ったのだから定期的に記事を更新していきたいが,継続的な行動が苦手なので厳しいのではないかなと思っている.
卒業研究としてGPU.jsで電場シミュレータを作っている間にWebAssemblyというものを知ってしまい,それ以降はやる気が低下したりしていた.卒研が終わり暇も出来たので,電場シミュレータをWebAssemblyで作り直した.
https://slnq.github.io/werve-wasm/
黒い範囲をクリックすると白いぼやけた円が表示される.これはスライダーによって変化するcharge valueの値に対応した電荷による電場である.このようにして電場を表示するのが主な機能.
install | : | クリックするとchargeに合う値の電荷を置く |
---|---|---|
remove | : | 電荷をクリックすると消すことができる |
control | : | 電荷をドラッグ・アンド・ドロップで移動させられる |
fix | : | 電荷をクリックすると固定できる |
https://github.com/slnq/werve-wasm
基本的にsrc
内の.js
ファイルを読めばシミュレーションについてはわかると思う.
これの2.から6.を繰り返している.配列の大きさの選択理由については記憶が無いが奇数の方が都合が良かったはず.
入力と表示以外の全てをRustから変換したWebAssemblyで実行している.これを作った時点ではwgpuというかWebGPUの仕様が変わり続けていたため使っていない.
また,表示に適すような配列への変換もこっちで行っている.
スマホで触ってみて気がついたが,スワイプだとcontrol(move)が使えないようだ.GPU.jsで作った時は使えているのだから,修正も可能であうと思う.
上述にある,表示に適すような配列をJavaScriptとWebAssemblyの共有メモリーから表示している.
GPU.js版にあったベクトル表示ha未だに作っていないため,Canvasは1枚のみでの実装.
webpackを用いてローカルで生成したものをGitHub Pagesで/docs`内をデプロイしている.
GPU.jsで作った時に比べて情報が多くて楽だった.言語は違うとはいえ一度作った経験があるからというのも大きいだろうが.
今後の目標としては
という具合だろうか.
今後の活動が無いVTuberについて語られ続けられることはない.VTuberのファン人口は増える一方だが既に引退しているVTuberについて話し合える人間が増えることは滅多にない.忙しない現代社会においては,とても好きだったとしても新しいコンテンツの提供が無いのなら記憶からは薄れていってしまう.
今一度,振り返ろう,あの時を.
友達のいない私にはアニメやアドベンチャーゲームの話をしてくれる彼女は貴重な存在だった.VTuberになり活動が忙しくなるとインプットが減りライバー間で起こった話や(ストーリー重視ではない)ゲームの話が中心となる傾向も見られるが彼女は違った.また卯月コウも好んでみていたため,OD組の活動を(物語も普通のコラボ配信も)とても楽しめていた.今となっては配信で物語を紡ぐ者が減っていて残念だが金銭的に不利な面も少なからずあり,仕方がないのだろう.
昼間に観る彼女のマイクラをよく覚えている.そもそも昼間に配信をしてくれるというのが貴重なのだ.当時は深夜の配信を観ては早朝に寝て昼間に起きるという生活を送っていたわけだが,昼に起きて誰も配信をしていないと孤独感でつらくなってしまう.雪汝の配信頻度は高くなかったがそれでも嬉しかった.今でこそにじさんじでは月ノ美兎が動画中心にシフトしつつあるが,雪汝は割りと最初から動画も作ったりしていたなと懐かしむ.
そもそも私が雨森小夜を大好きであり,また宇志海いちごのマイクラを観続けていたという前提があってこそという面もあるが,それ以上に久遠千歳の不死身という性質がどうにも好きだった.現実に溶け合うVTuberの最後に少し書いたが,存在せざるを得ないVTuberという枠組みの中で,存在しないVTuberに興味がある.そんな性分だから,いないようにあろうとするVTuberに惹かれるものは大きく,「永遠の生から解き放たれたい」とする彼女の存在は大きかった.また,そんな中で「永遠の命も悪くないなと思うようにしてくれ」と視聴者へ頼む彼女の側面もまた好きで色々と考えていたが,そんな間に引退してしまい今となっては彼女を遡る手段にも乏しいのは残念でならない.
2018年の前半に登場したにじさんじとゲーム部プロジェクトは業界の行く末を見せているように思えていた.前者のような配信を主体とする方針と,後者のようにアニメに寄る形式だ.それが演者の待遇の問題でゲーム部プロジェクトが壊れかけてしまい結局いまはアニメ系のVTuberはほぼいない.あおぎり高校のShortsは台本ありきでアニメ的ではあるが,話題や形式などがTikTokerに近くアニメ系とは言えないだろう.とはいえゲーム部プロジェクトが演者とうまくやって今でも活動が続いていたとして,ポケモンの対戦環境は(最も賑わっていた6世代の地続きである)7世代ほど人気はなく,Splatoon 3があるとはいえApexやVALORANTが主体となっていることは想像に難くなく,それならいっそ解体されるのも然もありなんと思ってしまう.
こちらもアニメ系のVTuber.ほとんどの動画が歌なのだが,歌う前に軽いアニメが挟まるという斬新な構成(今も目にすることがない).金髪にオタクコミュ障属性を与えて黒髪に単純バカ自信家設定を付与するのもなかなか珍しいと思った記憶がある.また彼女らの特徴的な表情である><やooのような目だが,未だに彼女らほど自然にこの表情が実装されているVTuberを知らない.長くなるので詳しくは書かないが,にじさんじの2Dモデル3.0における表情機能は,前述の3Dモデルの表情への違和感を解消するために実装されたと考えている.なにはともあれ彼女たちは当時から新しいことを色々と行っていたという印象が強い.
私は親と仲が悪いとかでは無いが,音楽番組で親が親しんだ歌が流れると口ずさむのが苦手で,親世代の音楽に苦手意識があった.これもアイマスのカバーなどで若干和らぎつつあったが,SALLA.Rのロマンスの神様にはかなり助けられた.これをきっかけになんとなしに避けていたVTuberによる親世代の歌の歌ってみたを聴くようになり,より苦手が解消されつつあり,本当に良い機会だったなと記憶している.また彼女の世界観もかなりよく,断片的な情報は鳩羽つぐや名取さなを彷彿とさせたわけだが,結局物語が終わることはなく残念な形で引退となってしまった.やるせない.
ドワンゴとの相性のよさもさることながら,声の良さが健在で驚いた記憶がある.彼もまた世界観が良いVTuberだったのだが掘り下げが多くないまま活動終了になったのは残念.とはいえ色々と懐かしかったし元気な姿をみられたというのは純粋に嬉しかった.
個人VTuberの中でもかなり好きだった.世界観も,それを補強するための映像も細かく丁寧に作り込まれていた.現実に起こったこと(メンタルヘルス系の話)や動画の企画(ハーブティーなど)も世界観を構成する上で欠かせない要素となっており,かなりうまく出来ているなと感じていた.2Dモデルも特徴的ながら自作であるだけあり動画の他の要素とも溶け合っており,また現実の映像も使われていたが違和感なく合成されていて総じて高品質だった.
恐らく今ある情報はファンによるpixivのイラストだけというのは少し残念だな.
海ラティブの衝撃を忘れることは出来ない.三秋縋が好きであると公言し感傷マゾ(当時からこの言葉があったかは確かでないが)のようなものを理解して2018年夏を作り出した卯月コウとは違う形で,あの頃の青春を作り出したと思っている.スーパーチャットの読み上げというどうしても観る人が限定されるコンテンツを面白く仕上げたり,生物系の研究に従事しているのではないかと思える面白い境遇について語ってくれたり,サブカルの豊富な雑談をしてくれたりと唯一無二な存在.またキャラデザも好みで,未だに朽木冬子と雨森小夜を見比べては白い制服と黒い制服のどちらが好きなのかなんて考えることもある.ツイートもなく1年経ったが相も変わらぬ配信を待っている.
ロートとどちらが先かは覚えていないが相当早く出てきた大企業のVTuber.文化に力を入れているサントリーらしいとも思ったし,逆説的にサントリーがVTuberをやるなら未来があると捉えられるなとも思った記憶がある.高クオリティな映像とMIXの歌ってみた,コンスタントに提供される企画立った動画,幅広いVTuberを巻き込んだ生放送と大資本らしいやり方だったが,視聴者としては嬉しい限りだった.活動は縮小となったが引退というわけでは無いようで取り敢えず安心している.
ぽんぽこ24で知ったサウナ系VTuber.私はサウナが嫌いなので内容については触れないが,知識も豊富で動画の品質も高く感心していた.またロケでは綺麗な映像も撮っており,本当に力を入れて活動していたのだなとわかるぶん,引退が残念でならない.その力の入れ具合や動画の出来に対して登録者数が伸びなかった印象は視聴者としても拭えず,活動の継続が困難になるのもわからなくはないが.
彼女もまた黎明期のなんでも出来るVTuber.特に音響系に強くにじさんじライバーのMIXなどもしている.まぁ彼女については適当にTwitterに復帰するだろうという感覚が強くあり悲観はしていない.
【歌ってみた】アイシー 演奏して歌ってみた/ひもののこ【ののこカバー】に救われた.卯月コウのアイシーは3回ほど聴いて作詞はコウなのだろうかなんてぼんやりと考えているうちに消えてしまい,アイシー/ぼっちぼろまる(self cover)を聞きながらだんだん薄れていくコウの声を必死に思い出そうとしていた.そうして結局コウの残響もなくなった頃にYoutubeによっておすすめされた【歌ってみた】アイシー 演奏して歌ってみた/ひもののこ【ののこカバー】を聴いて運命を感じた.ちょうど脱法アイシーの存在が確認されTwitterを中心に話題になっていた頃にYouTubeが私に勧めたアイシーは違法アップロードではなくカバーであるというのは私を励ましてくれた.つまらない自己肯定と思うかもしれないが2018年2019年の卯月コウには,それだけ人を揺さぶる力があり,私はその対象に間違いなくあったというわけだ.
今年もまた夏が始まる.30度を超える日々が続き,3日後には7月の幕が開ける.今年こそは夏を過ごしたい.
研究室で以前つくられた電場シミュレータをWeb上で実装し,それを以て卒業研究にしようというモチベーションで作られた.
作っているうちに知ったが他の年度にも色々と試されていたようで陳腐な卒研となった.
https://slnq.github.io/werve-gpujs/
白い範囲をクリックすると赤い円と無数の矢印が見える.赤は正を円は電荷を示し赤い円は正電荷で矢印は電場を表現している.
右下にchargeとあるスライダーを左に動かし,白い範囲をクリックすると円の大きさが違う青い円が現れ動き出す.青は負で大きさは電荷の大きさを示しており,青い円は負電荷となっている.
精密なシミュレータではないが,電荷や電場の動きは習ったそれと変わらないのではないだろうか.これが基本で,その他に8つあるスイッチは細かい設定の為にあり,下で説明する.
| time | : | 時間を再生/停止する |
| -: | | |
| norm | : | 電場の大きさを輝度で表す |
| vector | : | 電場のベクトルを矢印で表す |
| install | : | クリックするとchargeに合う値の電荷を置く |
| delete | : | 電荷をクリックすると消すことができる |
| fix | : | 電荷をクリックすると固定できる |
| move | : | 電荷をドラッグ・アンド・ドロップで移動させられる |
https://github.com/slnq/werve-gpujs
基本的にsrc
内の.js
ファイルを読めばシミュレーションについてはわかると思う.
これの2.から6.を繰り返している.配列の大きさ(すなわちシミュレートの解像度)である300×300は色々と試した結果であり,最適な解像度とかでは無い.
GPU.jsは1.から3.及び6.で使っている.new GPU({ mode: 'cpu' });
でGPUを使わない手法も取れるとドキュメントには書いてあるが機能せず,CPUとの比較が出来ていないのだから,GPUのありがたみも未知数となる.
GPU.jsを6.で使っているのも事実だが,使われた割合としてはせいぜい半分くらい.normでの電場の輝度表示はGPU.jsを用いているが,vectorで使える電場のベクトル表示や電荷の円はJavaScriptで描いている.300×300でいくつも矢印を描くと画質的に見てられないので,300×300で出た輝度表示は600×600に補間せず拡大しベクトル表示の方は600×600で出している.
ちょうど流行りだったので作った.JavaScriptで輝度表示の色を反転させると計算量を食うかなと思い,GPU.jsの表示用配列の時点で反転させている.他のところで最適化に程遠いのだから,こんなの無意味だろと言われれば,それはそのとおり.
webpackを用いてローカルで生成したものをGitHub Pagesで/docs
内をデプロイしている.当初はBitbucketを使っていたので,Herokuを使おうとしていたが,うまくいかなかった.最近のHerokuを見ている感じ災い転じて福となすなんて思うわけだが.(結局Herokuの使い方はわからないまま,使う機会がなくなったね.)
卒業研究として作ったのは確かだが,研究といえる代物ではない.
とはいえ一応こうして形になったのは嬉しかったな.
HugoやGatsbyと同じく静的サイトジェネレーター(SSG)の一種.
言語はRustで書かれているため,buildが早いという特徴がある.
とはいえRustの知識は必要なくTeraについて知っていると少し書きやすい程度でブログを作る程度なら簡単に扱える.
https://github.com/slnq/slnq.github.io
ドキュメントに仕様などが詳しく書かれているため,これを見ていけば最低限のブログは作れる.
それでもわからない点は有志が作ったテーマのコードを見ることで大抵は解決する.
軽量かつシンプルでありトップページから全てのページにアクセスできるように作った.
特にページの要素を示すタグの一覧を見るために別のページにアクセスする労力を嫌い,タグの一覧をトップページに載せる仕様は絶対だった.
また,技術的な内容と日記などの文章を主体とする記事の両方を書きたかったので2つのカテゴリに分けられるようにした.
レイアウトについては日光室を参考にしている.
タグに用いている記号については4KBのJavaScriptだけで動く可愛いアクションゲームを作ったのでソースと解説にて紹介されている手法を用いた.
templatesディレクトリにMarkdownからレンダリングされる元となるHTMLが配置されている.
全てのページで使われているヘッダー部分はbase.html,トップページはindex.html,記事はblog-pages.htmlを使っている.
また,sassにはスタイルシートが,contentには書いたMarkdownが配置されている.
Taxonomiesの実装に躓いたのでメモを残す.
特に既存のテーマではタグやカテゴリの一覧を単独のページにしており,私の希望であった
という仕様はコピー・アンド・ペーストでは実装できなかった.
1つ目についてはtemplatesディレクトリ内にtagsを作成しTaxonomiesを実装しbase.htmlに
{% set tags = get_taxonomy(kind="tags", lang=lang) %}
{% for term in tags.items %}
{{ term.name }}
{% endfor %}
と記述することで実現できた.コードは簡単のためtagsに関係ない部分は省略している.get_taxonomy
でtagsを取得しtags.items
の全てを表示している.
2つ目については1つ目と同様にcategoriesを作成しindex.htmlに
{% set section = get_section(path="post/_index.md") %}
{% if paginator %} {% set pages = paginator.pages %} {% else %} {% set pages = section.pages %} {% endif %}
{% for page in pages %} {% if page.taxonomies.categories %} {% if "tech" in page.taxonomies.categories %}
{{ page.title }}
{% endif %}{% endif %} {% endfor %}
と記述することで実現できた.コードは簡単のためcategoriesに関係ない部分は省略している.paginator.pages
やsection.pages
でcategoriesを取得しpage.taxonomies.categories
が存在しており"tech"
が含まれている場合にpage.title
を表示することで2つのカテゴリに分けられている.Teraの仕様で
{% if page.taxonomies.categories == "tech" %}
とは書けない.
この記事もだが技術系のものについてはZennにも投稿したいと考え,Markdownのレンダリングを整えるために
{{ page.content |
linebreaksbr |
replace(from="</p><br><p>", to="</p><p class='br'></p><p>") |
replace(from="<br><a", to="<br \><a") |
replace(from="<br><c", to="<br \><c") |
replace(from="<br><", to="<") |
safe}}
と書いている.linebreaksbr
でMarkdownの改行を<br>
にし,replace(from="</p><br><p>", to="</p><p class='br'></p><p>")
で二連続の改行を使えるようにし,replace(from="<br><a", to="<br \><a")
などでaタグやcodeタグの改行を消さないようにした後でreplace(from="<br><", to="<")
で改行しすぎる事を防いでいる.もっと賢いやり方はあるのだろうが頭が悪いので力技を使っている.
これでZennとだいたい同じ感じでMarkdownを良い具合にHTMLに変換できていると思う.
今回はGitHub Pagesを使った。
公式ドキュメントに沿えば良いのが,知識不足と英語の苦手が故にまごついた部分があったので以下に手順を示す.
かなり良いブログができたなと思っている.
特に色彩とレイアウトはかなり気に入っているが,まだ改善の余地はあると感じている.
最も改善するべき点はコードブロックなのだろうが,具体的な仕様が思いついていない.
Vlogの興りはバーチャルな世界にも波及しており,姿を現実に投影しにくいという制限は新たな形の動画に寄与している.この記事ではVTuberが現実に自らを現実に投影している手法について実例を含め紹介する.
大小さまざまなモニターを用いた現実へ顕出する手段がある.
視聴者の各々が持つスマートフォンにVTuberが現れるという形であるが,単純なYouTubeの視聴は含まない.
代表的な事例としてにじさんぽがあげられる.スマートフォンを通して見る景色にARでVTuberを映すというもので,一緒に旅行している気分を味わえるサービスだった.一緒に旅行していると言っても録画されたモーションと音声を観るだけで会話が出来るわけではなく,音声案内の拡張版と考えると理解しやすい.コミュケーションが出来ないのは残念だが,美少女ゲームにおける旅行パートの体験型と考えれば,良さも伝わりやすいのではないだろうか.
スタッフが持つタブレットを介してVTuberが外に出てロケなどをするという形式である.
にじさんじのくじじゅうじではスタッフがタブレットを持ちVTuberが現実でロケを行い,そのVTRをVR空間で観るという面白い構図が出来ていた.【#にじくじ2022】にじさんじのくじじゅうじ 一夜限りの復活SP!の21:59からはVTuber視点(タブレットのカメラ)と現実の人間とのやり取りと大きな2つの特徴をみることができる.26:47のシーンからも分かる通り,VTuber自身が体を張る必要が無いという利点(欠点)がある.
超バーチャルYouTu"BAR"やおしゃべりフェスのようなVTuberと1対1でコミュケーションが取れる時に使われることが多い.上半身のみを映すことで等身大にはなるが,平面のモニターでは没入感を出すのは難しく,あくまで対話を重視した形式であると言える.
一方で前者の透過ディスプレイが進化したり,このサイズ帯の空間再現ディスプレイが登場してくると没入感も実在感も一気に強まるように思う.
e-maのど飴 新プロジェクト発表会 2020年12月21日のように現実の人間と同じサイズで全身を映す時に使われている.また,動画を前提としない例としては大阪駅でいきなりVTuberが話かけてきたらどんな反応するのか?#shortsがある.実寸大で全身を表示できることから中型モニターよりも実在感を出すことができる.
ミライアカリ、電脳少女シロら人気VTuber達がライブ&ファッションショーで盛り上げる!「FAVRIC 2019」,バーチャルファッションショー「FAVRIC 2019」ウォーキング@電脳少女シロさんのようにライブで用いられる.このライブはファッションショーと音楽ライブの両方が行われており,多数のモニターでランウェイを構成したり,超大型モニターでライブをしたりと革新的な表現がなされた.
また,マジカルミライで散々つかわれてきた領域であり,歴史とそれに伴う技術がある.
動画を中心に現実の動画と3Dモデルを合成する手段が取られることがある.
【3人旅】おめシス初の大分旅行が最高すぎた!!!の1:01や【世界初?】Vtuberが空中ブランコに挑戦してみた!では現実の姿を動画編集で消し,3Dモデルを表示している.映像を観る限り違いがわかりにくいが,前者は映像をもとにしたモーションキャプチャーである一方,後者はmocopiなどの機材を使っているようにみえる.ノイズの問題や編集の負荷は大きいが空中ブランコのような現実の体を使った技術には,実際に行っているとわかりやすく適した手法であるといえる.
【初登山】運動不足バイク女子、息切れしながら"岐阜のグランドキャニオン"に登ってみた…!【アズリムの冒険モトブログ│#岐阜 】のように風景を撮影した後に自撮り風や固定カメラでの撮影風に3Dモデルを追加している.モーションさえ別で用意しておけば大きな負荷なく映像を作れる上に,実在感をかなり出すことが出来るという特徴がある.
少し趣の違う撮影方法としては刺激的な散歩をするゾがあげられる.動画の最序盤などでは外ロケのような画角で撮影が行われているが,これは手に持ったカメラで風景をとった上にmocopiでのモーションを乗せている,すなわち大きな鏡に対して撮影しているという形式が取られている.2:44からの映像で違和感を抱く理由はカメラのブレと彼女の動きが同じであるためだろう.この手法はYouTuberが行うことは出来ず,VTuberの新しい外ロケの可能性を感じる.
3Dモデルと風景の合成手法については【DAIV】まるでその場にいるみたい!実写合成「さな歩き」を作ってみよう!が詳しい(多くのVTuberはノーマルマップを利用していないと思うが).
VTuber本人もしくはスタッフが人形を操り現実へ繰り出す.
🛫旅・Vlog🛫や♨ホテルレビュー♨を中心にぽんぽこちゃんねるでは外ロケにパペットを用いている.視聴者に与える実在感はもちろんのこと,【弾丸】廃墟好きが行く!グルメに絶景!1泊2日の長崎旅行が最高すぎました。【池島】の4:02にみられる小学生との円滑なコミュケーションはパペットの即応性と実在性によるものだろう.(映像合成でVTuberが現われるとして,現実には何もない空間に目を合わせて会話するのは難しい.)
ピーナッツくん - グミ超うめぇ (Live at POP YOURS 2022)のように人間と最も近く扱えるという強みがある.仮にピーナッツくんの音楽がいかに評価されたとしても,3Dモデルを映す必要があるとなっては(きぐるみより遥かに)設備のハードルが高くなるだろう.
また,完全に顔を隠して外にいられるため竹下通りでゆるキャラGP王者が声をかけられるか検証してみた!のような大胆なロケができるというメリットもある.
【速報】ゆるキャラグランプリ優勝しました!!!!の0:59や深層Webの刺客「DWU」コスプレAVに本人解説+吹き替え版収録のカオスといった例がある.どちらも顔を出すことが困難なVTuberが,どうしても人型が必要であるという場合の最後の手段として使われているという印象を受ける.
プライバシーの最たるものである顔のみを隠すという手法はVTuberに限らず広く使われる.
3Dモデルで現実の姿を置換する で紹介したおめがシスターズだが現在は顔だけVチューバーと名乗り,顔のみを3Dモデルに置換し活動している.全身を置き換えるのでは取り除けないノイズや,手元を中心とした細かい動きが伝わることなど多くの利点が存在する.現実の顔を完全に覆うためにモデルの顔が大きくなってもアニメ的であるとみられ違和感が少ないというのも都合が良い.
一方でアニ文字を利用したYouTuberやTikTokerは少なからず存在し,彼らと同類視されるのはVTuberとして好ましくないようにも思える.(アニ文字を使ってVTuberを名乗ることに対し否定するわけではない.)
すとぷりがテレビに出演した時に顔のみをアイコンで隠しており,Twitterを中心に罵倒されていたことが記憶に新しい.
VTuberとしてでは最強寒波VS乾布摩擦のような動画が例となる.賛否両論ある手法なのだろうが,顔を隠すことでVTuberとしての形を保てるのであれば最も簡易的な方法として評価できるだろう.
【超美麗3D】初夏の釣り対決!Vtuberにだって釣りはできらぁ!【深層組/なまほしちゃん/寧々丸】や【公式/サブ】ティラノサウルスレース大山2023【ゲスト:息根とめる】などがわかりやすく,いわゆるニコ生の延長のような雰囲気がある.VTuberに何を求めるかによって意見の分かれやすい手法ではあると思う.
ARu子について話したいがための章という説もあるのだとか.
【ARu子】ヒマ過ぎる女子高生がお散歩実況♪はVTuberが左下にいるだけで別に実在感もなく,現実にいるとは特段感じられない.しかし我々はARu子の中にいる人間を詳しく知っており,この映像からも彼を感じることができる.VTuberを介して中の人を感じることは少なからずあるが,この場合は中の人を直接感じた上にVTuberの存在もまた認められるという奇妙な実在性を持っているのではないだろうか.
町内の『ふれあい祭り』でギターを弾いたよや文化祭で東京事変の『群青日和』を弾きましたといった動画にはVTuberの姿が一切映らないが,確かにそこにいるように感じる.こういった雰囲気のみによる実在感もひとつの手法と考えて良いだろう.
科学技術の進歩はもちろん,青春ヘラver.7「VTuber新時代」の発刊など様々な面で進化するVTuberについての将来を少しだけ考えてみる.
最近は技術の発展が著しく数年後という極めて近い未来さえ楽しみな日々を送っている.VTuberを現実へ投影する技術として楽しみなのは
あたりだろうか.Stable Diffusionで特定の絵描きの絵柄を模倣されるのが人間による模倣とは比較できないほど嫌われるように,特定のVTuberの人格を言語モデルに学習させ模倣させたら相当に批判されそうだななんて思うが,色々な議論が沸き起こりつつも面白い未来が広がっているのではないかと思う.
ここまで散々VTuberを現実に登場させる手法について話してきた.この試みは沢山の人々によって行われ研究も進んでいる.一方で,現実に存在するしかない人間がVTuberとなることで世界に存在しない者となる(もしくは作り出す)方法についての進展はあまり見当たらない.
現在は緩和されたが少し前はVTuberは絵を被っているから人権が無いとするかのような認識でのアンチ行為などが散見され,その影響かVTuber自身が現実に存在していることを主張することが多くあった.大手VTuber事務所により誹謗中傷などの対策が取られ,アンチなどが表面的にみられにくくなっている現在においても,この傾向は変わっていない.RP(ロールプレイ)を徹底しているVTuberであるとしても彼らは(現実世界から写像されているか否かは問わず)何らかの世界に属している.仮想であるバーチャルだが存在しないという事はあり得ないというのが現在のVTuberの形式となっている.
存在しないVTuberを作るとしたら私は岩倉玲音となり美里について語ることでしかなし得ないように思える.
しかしバーチャルにおいては信頼できない語り手を成立させるのが困難である.というのもVTuberが何かしらを語ったとしたら,それそのものが真実の世界となり,視聴者はそれを信頼するためだ.
存在しないことを前提として【クリスマス特別企画】性の6時間は名取と子作りしようよっ!2019で作り出された西郷・R・いろりはファンアートタグ#いろりでもちきりなどによって実在性が高められ,名取さなと歌を出すに至っている.仮に私が存在しないVTuberについて語ったとして他人によって存在させられてしまうというのは,いないバーチャルYouTuberを作るのをより困難にしているのだろう.